サルダナパロスの死:ドラクロアの世界

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「サルダナパロスの死(La mort de Sardanapale)」と題するこの大作は、ロマン主義絵画最高の傑作との評価が高い。だが、1827年のサロンに出展されたときは、散々な批判を浴びた。当時流行していた新古典派風の優雅さとは無縁であること、すなわち遠近法を無視した構図、けばけばしいほどどぎつい色彩、混沌を感じさせるような人物の動き、そういったものが当時の観客の度肝を抜いたのである。見物人を代表する形で、当時の芸術担当大臣はドラクロアに向って、「公的な仕事を請け負いたければ、別の表現で描かねばならぬ」と言ったくらいだ。

テーマは、古代アッシリア王サルダナパロスの死。サルダナパロスは、敗北の責任をとって、王宮に火をかけ、妾や財宝をことごとく破壊したうえで、従容として死に臨んだという。それをバイロンが取り上げて叙事詩にした。ドラクロアは、そのバイロンの叙事詩を踏まえながらこの絵を制作した。

もっとも忠実な再現ではない。原作では、サルダナパロスは名君として描かれ、民衆の生活に気をくばる優しさをもっていたが、反乱軍のために追いつめられると、自ら処刑の階段を上っていく高貴な姿に描かれている。この絵では、サルダナパロスは、妾たちが宦官によって殺され、王宮内部に火のまわる様子を眺めながら、ベッドの上に悠然と横たわっている。その表情には一切の感情は読めとれず、そのことが周囲の混乱ぶりと著しい対照をなしている。

ドラクロア自身はこの作品を、「キオス島の虐殺」に続く「虐殺第二号」と呼んでいた。ドラクロアの生きた時代には、あちこちで虐殺事件が絶えなかったのであり、なにも古代に取材しなくともよかったのであるが、それではあまりにも生々しくて、嫌みに映るというので、わざわざ古代に取材したわけであろう。

ともあれ、この絵の中の女性たちにボードレールは独特の美を見た。ドラクロアの女性たちをかれは、「夢見るような感情ではあるが、豊かな乳房、いくぶん狭い胸、ゆったりとした骨盤、それに魅惑的な手足をさえそなえている」(中山公男外訳)と表現している。そのドラクロアの女性をヴィクトル・ユーゴーは蛙と呼んで馬鹿にしたのだったが、それはユーゴーが「彫刻的な詩人であって、その眼は、精神的なものには閉ざされているのだ」とボードレールは反論している。

(1827年 カンバスに油彩 392×496㎝ パリ、ルーヴル美術館)






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