資本主義後の経済システム

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20世紀に成立した社会主義諸国は、いずれもマルクス主義を標榜し、マルクスの経済思想を具体化したと主張した。マルクスは、資本主義後の経済システムのあり方を詳細に示したわけではないが、私有財産の廃止と財産の共同的な所有及び協同組合的な経済運営などをほのめかしていた。ソ連型といわれる社会主義経済システムは、マルクスのほのめかした考えを、私有財産の廃止と財産の国有化および国家による計画経済という形で具体化した。しかしそうした経済システムは、一時はうまく機能するように見えたが、結局は破綻して、市場経済システムに復帰する動きを強めた、というのが大方の了解になっている。つまり、国有企業を中心にした計画経済はうまく機能しないという了解が、資本主義諸国を中心にして強化されているわけである。

こうした状況を踏まえて、マルクスの経済理論は合理的ではなく、破綻せざるを得ないという意見が有力になっている。そうした主張をする人々は、人間というものは国家の意思で自由に操れるようなものではなく、自分たちの自由意志で行動するものだとする人間観をもとに、経済システムもそうした自由な人間たちの自由な意思に立脚されるべきなのであり、それは自由な市場を舞台に、競争を通じたものにならざるを得ないとする。上からの計画的な指令に基づいて整然と行動するようには、人間は出来ていないというわけである。計画経済は人間性に合致しないとするこの考えは、アダム・スミスの見えざる手の思想を現代流にアレンジしたものといえよう。社会主義経済との競争に勝ったことが、資本主義経済の自信を深めたともいえる。

ソ連型経済システムがうまく立ち行かなくなったのは、たしかである。しかし、それを以て、マルクスの経済理論が間違っていると即断するのは筋違いだろう。マルクスの経済理論は、資本主義システムの批判にあてられている。マルクスが自分の経済理論を経済学とは呼ばず経済学批判と呼んでいることは、かれの目的が現存する資本主義システムの批判であって、それにかわるべき新たな経済システムの提示までは射程に入っていないことを物語っている。それ故、ソ連型経済システムは、マルクスの主張したことをヒントにして、試行錯誤しながら形成されたものであって、マルクスの経済理論を忠実に実行したものではない。しかもソ連型経済システムを主導したソ連共産党は、マルクスが予言したような、プロレタリア独裁の党ではない。なぜなら、レーニンたちボルシェビキが権力を握ったとき、ロシアには資本主義経済が根付いていたとはいえなかったからである。そういう土壌に、資本主義経済システムを飛び越して、いきなり社会主義経済システムを植えつけようとしたわけであるが、それが具体的には計画経済という形をとった。

計画経済は、当初はうまく機能したように見えた。じっさい1930年代には、アメリカをはじめとした資本主義経済諸国が深刻な不況に陥り、それが経済のブロック化と政治的な対立をもたらしたのに対して、ソ連型経済システムは、相対的にはうまく機能していたのである。それは、計画が的を得ていたためだと考えられる。ところが、1970年代以降になると、それがうまく機能しなくなった。その理由は、計画上の重点投資があいかわらず重工業部門に注がれ、消費財部門が軽視されたためだ。経済計画当局が古い発想にとらわれ、国民の需要を正確にとらえられなかった結果であるといえる。

国民の需要は市場を通じて正確に示されるというのが資本主義経済学の考えである。ある程度の無駄を伴うことはあるが、最終的には市場を通じて需要が示されると考える。市場の無駄があまりにも度を越すと恐慌が起きるが、今日恐慌はある程度コントロールできるようになっている。じっさい1930年代の恐慌を最後に、世界規模の大規模な恐慌はおきていない。それは国家の介入が効を奏したということだろう。ケインズの有効需要の理論にもとづいて、国家が市場に介入し、その逸脱をコントロールできるようになって、深刻な恐慌は回避することができるようになった。その点では、古典的な資本主義モデルとは異なるが、あくまでも市場を中心とし、それに国家が補完的にかかわるということでは、市場中心の資本主義モデルがいまだに有効だということを示している、そう資本主義経済学は考える。

中国経済が驚異的な成長に成功したのは、市場を重視したからだとする意見が有力である。社会主義を標榜する中国で、ソ連流の計画経済ではうまくゆかなかったものが、市場原理を導入したらうまくいった。その成功体験が、市場中心の資本主義経済システムの優位性をあらためて証明したと資本主義経済学は考える。中国の場合、市場の導入にあわせて、民間部門の自由化を押し進めた。その民間部門が外資の受け皿となって、外国からの投資が飛躍的に増えた。中国の驚異的な経済成長は、大部分が外国からの投資に支えられており、その投資を呼び込むための受け皿として市場原理と民間部門が機能したということだろう。つまり中国は、世界の経済力をうまく活用したことで普通以上の成長に成功し、先進諸国は自国内ではだぶついて投資機会を持たない金に投資のチャンスを見出したというのが真実だ。中国経済が一方的に自由化したおかげで、自由化の勢いで自然と成長できたということではない。

以上を通じて言いたかったことは、ソ連型経済も中国経済も、マルクスが予見していた資本主義後の経済のあり方とは、基本的にずれていたということである。これら20世紀に成立した社会主義国家は、マルクスが予見したようなプロレタリア独裁国家ではなかったし、その経済政策は、試行錯誤の積み重ねの上に成り立っていた。だからその失敗ないし成功を、直接マルクスの経済理論に結びつけるのはお門違いである。じっさいマルクスは、上述したように、資本主義後の経済システムについては詳細には論じていないのである。

とはいえ、方向性のようなものに触れてはいる。それを確認しておきたい。まず、市場についての考え方。マルクスは市場を全面的に否定していたわけではない。その盲目性を批判したのである。市場にはさまざまな人々がバラバラの意図をもって参加する。そのバラバラの意図は、神の見えざる手によって最終的には調和するとアダム・スミスは考えたわけだが、マルクスはそれをお人よしの見方だと批判した。神の見えざる手は常に働くとは限らない。恐慌がその証拠だ。恐慌は市場の混乱によって生じるのだが、その混乱は市場の盲目性にもとづいている。盲目性というのは、市場におけるプレーヤーたちが、市場の全体像が見えないために、個々バラバラな意図から行動するという意味だ。そのバラバラな意図が市場を混乱させ、その結果恐慌が起きる。恐慌は資源の無駄遣いを最終的に調整する資本主義経済システム特有の仕掛けだというのがマルクスの見立てである。したがって、如何にすれば恐慌を防止できるかということが、マルクスの第一の問題意識である。

資本主義的所有関係について。資本主義経済システムの本質は、資本が労働と結びついて、剰余労働を生み出すというところにある。剰余労働こそが、資本主義社会における富の実体である。その剰余労働を、資本が横取りするとマルクスは考える。だから、資本主義後の経済の目的は、その剰余労働の資本による横取りをやめさせることにある。ではその剰余労働はどのように管理させるのか。マルクスはある種の共同体を、剰余労働の管理主体としてイメージしているが、その詳細は明示していない。国家に相当するようなものがその管理主体になるのか、あるいはもっと小規模な共同体を想定するのか、それとも国境にとらわれない広域的な共同社会を想定するのか、選択肢は色々あると思うが、マルクス自身は、これといった決定的なことは言っていない。

市場と計画について。市場のあり方と資本主義的所有の否定が結びつくと、一つには、市場のコントロールをどのように行うかということが問題となり、もう一つには、コントロールの主体が問題となる。そのコントロールは計画を前提とすると考えられるから、その計画の方向性と計画主体が問題となる。その辺は、ソ連型計画経済の実践例が参考となるだろう。いずれにしても、これらの問題については、マルクスはほとんど何も述べていないに等しい。







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