智慧と慈悲<ブッダ>:仏教の思想①

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角川書店刊行の「仏教の思想」シリーズ第一巻は、「智慧と慈悲<ブッダ>」と題して、釈迦のそもそもの思想をテーマにしたものだ。釈迦の思想といえば、いわゆる小乗仏教や大乗仏教も釈迦の教えと称しており、それらを含めて仏教全体が釈迦の教えを説いたということになっているのだが、一口に仏教と言っても、その内実は多岐に渡り、場合によっては相互に矛盾する内容を含んでいる。それは、釈迦のそもそもの教えと言われるものが、時間の経過にしたがって変化していった結果だといえる。そこで、歴史上の人物としての釈迦が、そもそもどのような思想を抱き、それをどのようにして人々に説いたかを知っておく必要がある。そのような問題意識から、この巻は書かれた。

日本では、仏教は各宗派に別れ、それぞれが独自の教義を説いて、仏教全体を俯瞰するような動きは弱かった。そんなこともあって、釈迦がそもそもどのような思想を抱き、その思想の内容がどのように変化していったかというような問題意識は生まれてこなかった。それでは仏教を本当に理解することはできない。こういった問題意識を抱きながら、この巻の執筆者たちは釈迦の思想の原点に立ち入ろうとするのである。それには、西洋の仏教学の刺激もあったらしい。西洋の仏教学は、歴史上の釈迦という人間に着目し、かれの生涯とかその思想について研究する。そうして釈迦のそもそもの思想こそが仏教の本筋であって、大乗仏教などはそれからの逸脱だと考えがちである。日本の鈴木大拙がヨーロッパ人向けの仏教入門書である「大乗仏教概論」を書いたとき、フランスの仏教学者がそれを批判して、大乗仏教を以て仏教を代表させるわけにはいかない、大乗仏教は仏教の一変種であり、ヒンドゥー化された仏教だと言った。そんなこともあって、仏教を理解するためには、釈迦のそもそもの思想を知る必要があると、日本の仏教学者も認識するようになったという事情があるようだ。

この巻の担当者は、仏教学者の増谷文雄と哲学研究家の梅原猛である。かれらとくに増谷は、釈迦の思想の成立を大きな歴史的な布置の中で考える。釈迦の思想を、ギリシャのソクラテスや中国の孔子、あるいはイエスキリストの先駆者といわれるユダヤの第二イザヤと関連付けながら、これらの思想が同じような土壌から生まれたと指摘する。ソクラテスが死んだのは紀元前399年、それより80年前に孔子が死んでおり、また釈迦が死んだのはソクラテスの死後数十年の間である。この三人はだから、ある意味同時代人といってよい。かれらは同時代人として、共通の問題意識を持っていた、と増谷は言う。それを簡略化して言うと、都市の勃興の時代にあって、人類が全く新しい生活様式を採用するようになったことを背景にして、そうした新しい生き方に見合うような思想が求められていた。それに答えたのが、以上の人々であったというのが増谷の見立てである。

なお、増谷はこの巻のなかで、中国を呼称するのに「シナ」という言葉を使っている。「シナ」という言葉は、20世紀になって用いられるようになったものだ。「シナの夜」といった題名の流行歌があるように、シナという言葉にはエクゾチックな雰囲気が認められもするが、どちらかといえば、中国に対する侮蔑的な感情が込められていると指摘されている。じっさい今でも、わざわざ侮蔑的な意味合いを込めて「シナ」という言葉を使う人はいる。辛亥革命以降、中国人は自国を「中国」と言うようになり、普通はそれを尊重するのが国際関係上の礼儀だと思うのだが、日本では「シナ」という言い方が定着した。増谷は1902年生まれだというから、そうした言葉遣いが身にしみて、いまさら「中国」とは言えなかったのだろう。

ともあれ、この巻は釈迦のそもそもの思想がテーマである。増谷はそれを、かなり単純化して、二つの部分に分ける。一つは世界についての認識である。存在論と言ってよい。もう一つは人間の生き方についての考えである。倫理的・宗教的な議論と言ってよい。だいたいどの宗教でも、世界についての見方と人間の生き方についての主張からなっているものだ。釈迦が始めた仏教も例外ではない。釈迦の仏教の場合には、ほかの宗教と比べると、倫理的・宗教的な部分より、世界についての認識、存在論のウェートが高い。そのことを以て、仏教は宗教というより哲学的な思想だとする議論もあるほどだ。そういう議論は、だいたいキリスト教を以て宗教を代表させている。キリスト教は一神教であり、神への人間の信仰を内実にしたものだ。無論世界のあり方についての考察も含んではいるが、なんといっても神への無条件の帰依を要求する。それに対して釈迦の仏教は、神という言葉を使わない。だいいち神というものを設定していないのだ。それがキリスト者の目には、仏教には神がいないから宗教ではないというふうに映るのだと思う。

世界についての見方は智慧といってよい。一方人間の生き方については、釈迦は他人への配慮を中心に置き、それを慈悲と名づけた。つまり釈迦の教えは智慧と慈悲からなっているわけである。この巻が「智慧と慈悲」と題された所以である。

増谷は、釈迦には二つの転機があったという。一つは菩提樹の木の下で悟りを開いたことである。もう一つは五人の人々を前にして最初の説法(初転法輪という)を行ったことである。釈迦の悟りの内容はきわめて個人的なものだった。釈迦がめざしたのは自分自身の個人的な生き方にかかわるものであり、それが達成されればそれで目的は実現したと言ってよかった。ところが釈迦はそれには止まらないで、自分の体得したものを人々に向かって差し出さないではいられなかった。そのようになったわけは、梵天による説得があったからだということになっている。これは梵天勧請と呼ばれるものであるが、増谷によれば、釈迦の教えは比喩の形をとることが多いが、その比喩には積極的な内容のものと消極的な内容のものがある。積極的な内容のものには梵天が動員されて梵天説話となり、消極的な内容のものには悪魔が動員されて悪魔説話の形をとるということらしい。

釈迦の悟りの内容を一言で言えば、「縁起」の思想である。縁起とは、世界のすべての現象を相対的に見るもので、何ごともそれ自体として存在しているわけではなく、膨大な因果関係の網の目の中に繰り込まれているとする考えである。その因果関係を因縁という。縁起の思想は、世界を因縁の連鎖と見る見方であり、自立した存在と見えるものは、因縁のある相がそのように仮に見えるに過ぎないとする。この考えによれば、全ての現象は恒常性を持たずに無常ということになり、また人間の自我というものにも恒常性が認められず、したがって無我ということになる。対象的な世界の無常性と自我の無我性とが、釈迦の存在論の根本をなすのである。

一方初転法輪の内容は、「四聖諦」と呼ばれるものである。これは人間の生き方についての教えであり、実践的な内容を含んでいる。「諦」とは真理という意味と、「厳粛な断言」という意味を含んでいるという。それに聖をつけて、人間がかならず実践すべき四つの事柄をさすわけである。「四聖諦」は、「苦集滅道」と言い換えられる。「苦」とは、この世の全てが苦であるとする認識をいい、「集」とは苦悩の原因となるものの認識をいい、「滅」とは苦悩の原因を取り除くことをいい、「道」とはその方法をいう。この「四聖諦」を正しく認識し、それを実践することによって、人は涅槃の境地に達することができる。その境地は、自分自身だけが享受するのではなく、他人にもそれを得させるようにさせることが、真に悟りを開いたもののつとめである、と釈迦は考えたとするのである。ここで興味深いことは、「四聖諦」のそれぞれが相互に因縁の関係にあることだ。

以上が、釈迦のそもそもの思想についての増谷の説明である。あまりにも簡略化しすぎている感がないわけでもないが、その分わかりやすい。







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