みかんの丘:アブハジア紛争を描く

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2013年製作のグルジア・エストニア合作映画「みかんの丘」は、翌年製作されたグルジア映画「とうもろこしの島」とよく比較される。どちらも、アブハジアをめぐるアブハズ人とグルジア人の扮装をテーマにしており、人間同士の殺し合いを強く批判するメッセージが込められている。

この映画は、アブハズ人とグルジア人との対立にエストニア人を絡ませている。なぜ、アブハジアにエストニア人かと、事情に疎い者には解せないところだが、実はアブハジアにはかなりな規模でエストニア人の殖民が行われた歴史があるらしい。そのアブハジアにおけるエストニア人コミュニティが、アブハジア紛争の勃発で崩壊し、ほとんどのエストニア人はおよそ百年ぶりに故国に戻った。だが数人のエストニア人は残った。この映画は、アブハジアに残ったエストニア人が、アブハズ側とグルジア側の狭間で、人間として矜持を保つさまを描いている。そういう点では、ヒューマニズムを強く意識させる作品である。

アブハジアに居を構えるエストニア人の一老人のところに、二人のチェチェン人が押し入ってくる。かれらはアブハジア紛争が起きると、アブハズ側の傭兵となってグルジア兵と戦っているのだ。その二人のチェチェン人は、その後グルジア兵と遭遇して戦いとなり、一人は死亡、グルジア側にも死者が出た。この戦いで、チェチェンとグルジアの双方から一人づつ生き残るのだが、それをエストニア人の老人が介抱する。老人には二人のエストニア人仲間がおり、その仲間の助けを借りながら、怪我人の介抱に努めるのだ。

老人の仲間の一人にマルゴスという者がいて、みかんを栽培している。かれはそのみかんを収穫し、売り払って得た金でエストニアに帰るつもりなのだ。一方、主人公の老人イヴォには帰るつもりはない。その理由はおいおい明かにされる。

怪我人たちは、相互に戦いあう中でもあり、症状がよくなると敵意をむき出しにする。そんなかれらをイヴォは諌める。ワシの家の中では殺し合いはさせない、もししたければワシを殺してからにしろ。そう言うと、憎みあう二人は老人に助けられた恩義から家の中では殺しあわないと約束する。

その後、グルジア側、アブハズ側両方からの検分があったりして、クライマックスの事態へと至る。アブハズの兵士が事態を怪しみ、チェチェン人のアハメドを射殺しようとしたのだ。そこでグルジア人のニカが小銃を発射してアブハズの兵士たちと戦う。その結果、イヴォとアハメドを残してみな死んでしまうのだ。このシーンの少し前に、イヴォ、マルゴス、アハメド、ニカの四人が焚火を囲んでワインを飲むシーンがある。その際にイヴォが「死に乾杯」と叫ぶ。なぜそんなものに乾杯するのかとマルゴスが言うと、イヴォは「死はこいつらの母だ、こいつらは死の息子だ」と答える。戦争は人間を死のとりこにするというわけであろう・

イヴォはニカの死体を、自分の息子の墓の隣に埋めてやる。息子は紛争の勃発に際してアブハズ側に志願して戦い、戦死したのだった。イヴォがアブハジアを去り難く思っているのは、息子の墓を守り続けてやりたいとの気持からだった。と言う具合で、領土をめぐる人間たちの争いと、そのむなしさを描いた作品である。





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