葡萄畑に帰ろう:エルダル・シェンゲラヤ

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2017年のグルジア映画「葡萄畑に帰ろう」は、難民迫害をコメディタッチで描いた作品。折からアメリカではトランプが大統領になって、露骨な難民迫害を始めていた時期なので、この映画はそれを批判したものと受け取れぬこともない。もっともトランプの難民迫害が、トランプの人格を反映して、非人道的で仮借ないものだったのに対して、この映画の中の難民迫害には、やや人間らしさを感じさせるところはある。

主人公は、某国政府「難民追い出し省」の長官。かれは、大した政治的信念を持っているわけではなく、地位に恋々としているだけの男だ。その地位を象徴する椅子がかれの唯一のアイデンティティのよりどころである。その椅子は、自分の意思を持っており、勝手に動き回ることができる。また、主人の機嫌のよいときには、一緒に遊んでやることも忘れない。

かれは国民の気持を見損なって、非人道的な難民迫害を行っていたが、それが国民の反発を食って、与党は選挙で大敗、かれは長官職を解かれてしまう。かれには、死んだ妻が残した一人息子がいるのだが、さる難民女性を家に入れ、同棲生活を始める。かくして、失業した男がいかにして立ち直るか、映画はその行方を追ってゆく。

というわけで、とりわけて筋書きらしいものがあるわけでもなく、したがってドラマ的な要素も殆ど感じられない映画だ。唯一、難民迫害の是非を考えさせるような演出が指摘できるくらいだ。しかも、かつてかれの秘書であり、後任の長官になった男が、「難民迫害」の仕事をうまくこなし、あまつさえ総理大臣にまで出世したということになっているので、難民迫害は必ずしも悪いことではないというようなメッセージも伝わってくる。

結局、主人公の男は、家族の皆とともに、母親が暮らしている実家に移り住むことになる。その実家は葡萄を栽培しているので、主人公はブドウ畑で働く毎日を過ごすようになるというわけである。

難民迫害をテーマにしたというだけで、ほとんど中身のない映画といってよい。





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