旧蝦夷風俗図:富岡鉄斎の世界

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富岡鉄斎は、蝦夷地(北海道)に強い関心を持っていたようで、蝦夷の地図類なども所有していた。それを明治六年(1873)に、日本国地誌と合わせて政府に献上した。そのことで翌1874年に、政府から感謝状を送られた。その年に鉄斎は、北海道へ旅行している。

「旧蝦夷風俗図」と呼ばれるこの作品は、明治二十九年(1896)に製作された。二十年以上前の北海道旅行の思い出を参照しながら描かれたのだと思う。二曲一双の図屏風で、右隻には熊祭りの様子が、左隻にはアイヌの人々の暮らしぶりが描かれている。

上は、右隻。熊祭りの様子を描いているのだが、時系列の異なる三つの場面を、一つの画面に収めるという工夫がなされている。すなわち右下には熊を狩りとる様子。左下には熊の首を丸太にさしはさんで絞め殺す様子、右上には死んだ熊を祭壇のようなところに据えて、その祭壇の前では人々が宴を催している。これらの場面とは別に、左上にはかがり火を囲んで人々が輪になって踊る様子が描かれている。この熊祭りはイオマンテと呼ばれた。

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これは、左隻。これも様々に異なった場面が、同じ画面に併在して描かれている。右下の川の流れは、右隻の川の延長と思われるが。周囲の風景には共通するところはない。

(1896年 紙本着色 二曲一双 各166.5×183.6cm 東京国立博物館)





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