菅政権の退場は国民にとって僥倖か

| コメント(0)
菅首相が突然総裁選への不出馬を表明したことで、世間は大騒ぎになっている。なにしろ異様な権力欲で知られる菅首相が、自分から政権からの退場を表明したとあって、背景や直接の理由について、ゴシップ屋どもがあれこれ推測しているが、ここではそれについて立ち入ることは差し控えたい。とりあえず、菅政権によって深刻な命の危険にさらされていた日本国民にとって、当面の恐怖から解放されるメドがたったことを喜びたい。

しかしこの事態を僥倖だとして喜ぶのはまだ早いだろう。菅首相の後継政権がどのように国民の危機を回避すべく働くのか、それを見極めないうちは、安心してはいれらない。新たに政権を担うものには、国民の立場に立って、国民の命を救う努力をしてもらいたい。政治家の役目は、国民のために働くことであり、自らの利益を追求することではないといいう、当たり前のことを肝に銘じてほしい。

ところが、自民党の様子を見ていると、旧態依然たる眺めを呈している。色々な動きが輻輳しているが、要するに国民不在の権力闘争だ。その闘争を誰が制するか。それに向かってどのように行動すべきか。自民党の政治屋達は、そんなことばかり考えているようである。

後継に名乗りを上げているものには、菅政権の閣僚だったものもいる。なかには、菅首相とタッグを組んで、チグハグなコロナ対策をやってきた者もいる。そういう人間がどのツラ下げて首相になるつもりか、小生などはただ唖然とするばかりである。

そんなわけだから、国民は引き続き自民党の動向を監視し、権力闘争にうつつをぬかして国民の命を軽んずることがあれば、来る総選挙でお仕置きをせねばなるまい。安倍政権以降、自民党の政治屋は国民を舐める癖がついたようである。そういう不遜な態度を改めさせるためにも、次の選挙では自民党に厳しく当たらねばならぬと思う。





コメントする

アーカイブ