狂言「二人大名」

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「二人大名」は、一応大名狂言に分類されているが、ここに出てくるのは、およそ大名らしくない者どもである。それでも見栄だけは張っていて、通りすがりのものをその見栄に付き合わせようとするが、かえってその者からこけにされて、さんざんな目に合うというものだ。

大名の二人づれが京への旅に出たはいいが、供もなくおよそ大名らしくない。そこで旅先で人のよさそうな者をつかまえ、供の役をさせようとする。大名は、供に刀を持たせるのが当たり前となっているので、この大名の一人が、自分の刀を持たせるのである。持たせられた通りがかりの者は、最初はおとなしく言うことを聞いていたが、そのうち腹が立ってきて、反撃に及ぶ。その反撃というのは、自分が持たされた刀で大名たちを脅し、色々な芸をさせるというものだった。

最初は鶏の鳴きまね、次は犬の喧嘩のまね、更に起き上がり小法師のまねといった具合だ。命じて応じないと、脅し言葉を浴びせる。唐竹割りにしてくりょう、梨割りにしてくりょう、胴腹をくりぬいてやるぞ、瓜割りにしてくりょう、胴切りにしてやろうぞ、といったところだ。脅された大名たちはいやいやながら従う。鶏のまねをするときには、
 コウコウコウコウ、コキャッ、コウコウコウコウ、コキャッ、コウコウ、コキャッコ
 コキャッコ、コウコウ
犬の喧嘩のまねをするときには、
 ビョウビョウビョウビョウビョウ、ビョウビョウビョウビョウビョウ
と声を張り上げて鳴く真似をする。

また起き上がり小法師しのまねをするときには、小唄をうたいながら左右にころびを打つ。その小唄というのは
 京に京にはやる、起き上がり小法師、ヤヨ、殿だに見れば、ついころぶ、ついころぶ
というものだ。卑猥な歌である。

その間に、通りがかりの者は、大名たちからとりあげた刀、脇差、上下の衣を持って逐電する。その時の言い分が傑作である。
 汝らにこれを返しとうはあれども、これを返したならば、また往来の者に難儀を
 かくるであろう
と言うのだ。つまりこの通りがかりの者は、自分自身の腹いせばかりでなく、往来の迷惑まで考えて、大名たちにお仕置きを加えたということになる。

上の写真は、大蔵流狂言茂山忠三郎以下の舞台をNHKが放送したものから。二人の大名の息がよくあっていて、実に楽しい舞台であった。





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