入管の取り締まり体質は特高の遺産

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雑誌「世界」の最新号(2021年11月号)は、入管問題をサブ特集として取り上げている。先日名古屋の入管施設で、入所者のスリランカ人女性が死んだことがきっかけで、入管問題が世間の関心を呼んだことを踏まえたものだろう。その女性の死をめぐる事実関係の検証を中心に、日本の入管行政の遅れた体質を批判的に検討している文章が寄せられている。

「絶望の収容所」と題したルポ記事は、日本の入管の取り締まり体質を批判している。日本の入管の取り締まり体質は、特高の遺産であるという指摘をどこかで呼んだことがあった。それは、戦後組織として解体された特高の生き残りが、そのまま入管に横すべりで転入してきたために、入管はかれらの取り締まり体質を受け継いだというような趣旨の指摘だったが、この「絶望の収容所」は、そのへんのいきさつに詳しく触れている。

それによると、入管はもともと内務省の所管であり、実務の担い手は特高警察の外事係だったという。だから戦後特高の生き残りが、もともと特高の一組織だった入管部局に集まるのは不自然ではなかったわけだ。戦前の入管行政のことは触れていないが、戦後の入管行政の主な役割は、日本在住の朝鮮人・台湾人の国籍をはく奪したあと、かれらを朝鮮や台湾に退去させることだったという。そんなわけだから、人権という意識はもともとなく、日本にとって望ましくない朝鮮人等を強制的に退去させることに存在意義を求められていたので、その実務は非常に強圧的だった。だがそうした強圧的なやり方が、長い間、問題になることはなかった。

しかし入管行政の対象が朝鮮・台湾以外の外国人にも広がり、今回のケースも含め、多数の外国人が入管収容中に死亡する事態が続くことになって、にわかにその体質が問題となったというわけである。

入管行政の取り締まり体質は、なにも日本に限ったことではなく、アメリカの入管なども人権を無視した酷いことをやっている。とはいえ、やはりこうした問題の発生は日本にとって望ましいことではない。こういう問題がくすぶり続けると、日本の国としての信用が損なわれると思うので、将来に向けて、人権を考慮したものへと変えて行く必要があるだろう。

この特集には、もと入管職員だったという人物へのインタビューも載っているが、それを読むと、入管の現場職員への配慮が感じられる。それは職場の仲間だったものへの遠慮からだと思うが、それにしても、個々の入管職員は、「あくまでも法律に従って、与えられた職務を忠実にこなしているに過ぎません」という主張は、責任逃れのように聞こえる。それでは、ニュルンベルグの法廷で、自分の責任を逃れようとしたナチスの被告とあまり違わないのではないか。人間はどんな状況に置かれても、人間の尊厳を守るべき姿勢を持ち続けるべきである。





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