フロイトの無意識

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ヨーロッパの思想史上、フロイトの功績に帰せられる最大のものは、無意識の重視ということだろう。それ以前にも無意識が全く知られていなかったわけではないが、大した意味があるとは思われておらず、ほとんど無視に近い扱いを受けていた。そこにフロイトが登場して、無意識を前提とした壮大な学説を展開したわけだから、そのインパクトは大きかった。それを無意識革命というような大げさな言葉で表現するものもいるくらいだ。だから、フロイトは無意識の発見者と言ってもよかった。ところが、フロイトとほぼ同じ頃に無意識に注目した人がいる。ベルグソンである。フロイトは精神病理の研究から出発して無意識を発見したのに対して、ベルグソンのほうは、精神の働きを分析する過程で、人間の精神には意識だけでは説明できない部分があることに気づき、そこから無意識の存在を確信したのであった。二人の研究はほぼ互いに没交渉に行われたが、その結果には共通するところが多い。それは、ふたりともユダヤ人であることに理由がある、と小生は見当をつけている。

ここはフロイトの無意識を論じるところなので、ベルグソンの無意識論については原則として触れない。ただ、フロイトとの比較が意味を持つ限りで言及することにしたい。

フロイトは精神病理の研究から無意識の存在を発見したといったが、かれがその無意識のアイデアを思いついたのは、本人によれば、夢とか転移性神経症(ヒステリーなど)は無意識を仮定しなければ説明できないし、またそれを仮定することによって整合的な説明ができる、と考えたからであった。精神病理学を含めた実証的な学問は、基本的には事象の分析を通じてそこから法則的なものを抽出し、それを仮説として、事象を演繹的に説明するというものである。ところがフロイトの無意識の仮説は、かならずしも実証的な根拠を持つとは言えないところがある。要するに思い付きのようなものなのだ。そうした思い付きの仮説でも、現実の事象を矛盾なく説明できれば、その仮説の有効性は高いというべきであり、またその仮説を抜きにしては事象を矛盾なく説明できないのであれば、その仮説には実証的なものと同様な意義を認めてもよいのではないか、というのがフロイトの根本的な方法論的姿勢であると特徴づけることができる。じっさいフロイトには、科学者としての立場からあくまでも実証を重んじる姿勢がある一方、思弁的な傾向もかなり認められるのである。

夢とか転移性神経症の場合には、無意識は抑圧された衝動からなっていると考えられた。通常の場合、こうした衝動は意識に表面化することはない。その理由は強い抑圧が働いていることにあるが、その抑圧が何らかの事情で緩んだり、あるいは抑圧されていた衝動が非常に大きなエネルギーを持つに至った場合、意識の表面に出てくる。夢の場合には、寝ることで意識の抑圧が緩み、抑圧されていた願望が表面化すると考えられる。転移性神経症の場合には、抑圧されていた衝動が非常に強いエネルギーを持った結果、意識の表面に出てこようとするが、ストレートには出てこれずに、ゆがんだ形で出てくる。ヒステリーはその典型的なもので、無意識の衝動が身体部分の異常というかたちで表出されたものと考えられる。

このようにフロイトは、とりあえず無意識の内容を、抑圧された衝動と見たわけだが、無無意識の内容はそれに尽きるものではない。抑圧された衝動は無意識の一部分を占めるにすぎず、そのほか様々な要素が無意識には含まれる。代表的なものは、個人が遺伝的に受け継いだ心理的形成物だ。つまり動物の本能にあたるものである。そうした遺伝的なものや、それと区別できないようなものが無意識の大部分を占めるとフロイトは言っている。

その無意識と意識の関係については、フロイトは精神病理学の医師であり学者であるから、夢や転移性神経症において問題となる抑圧された無意識の内容に焦点を当てて論じる。その関係の基本的な構図は、意識が無意識の内容を抑圧することで、大部分の無意識は意識化されることはないが、なにかの事情でそれが意識の表面に出てくるというものだ。フロイトは、意識と無意識との間に前意識という第三の領域を設け、それに無意識と意識の橋渡し役を演じさせている。無意識の内容はいきなり意識の表面に浮かんでくるのではなく、いったん前意識の領域に進出し、そこから意識の表面へと出てくる、というような構図を考えている。無意識と前意識、前意識と意識との間には、抑圧の原因となる検閲が働いている。その検閲を突破できたものが、最終的に意識の表面に浮かび上がってくる、という具合に考えるのである。

フロイトの学説の特徴は、人間の精神を、無意識、前意識、意識の三者が重層的に折り重なったものと見ることにある。そう言うと、人間の精神をあたかも実体的な存在と考えているように映るが、フロイトはユングとは異なり、意識の実体性とか、脳との間の平衡関係といったものにはこだわらない。精神の重層的な構造に関するかれの説は、実体的な存在論を目指したものではなく、あくまでも現象を矛盾なく説明するための操作概念にすぎない。

こうした精神の重層性は、ベルグソンも主張したものである。ベルグソンは、フロイトほど厳密ではないが、やはり意識の底に無意識の領域を認め、無意識的な内容がたえず意識に影響を及ぼしていると考えた。意識は概念的な知をめざし、無意識は記憶の担い手としてたえず意識の働きを支えていると考えたわけで、そこにはフロイトに見られるような、意識と無意識の対立といった性格よりも、両者の協働とか調和といった側面が強く見られる。

西洋の思想的な伝統においては、精神と意識は同一のものとされてきた。デカルトの「われ思う」は、思っているということ、つまり意識の働きこそが精神の内実である、という思想をわかりやすく表現した言葉だ。こんなわけで西洋思想は、無意識を精神とは全く異なったもの、あるいは存在しないものと考えてきた。精神と意識が同一視されれば、無意識からあらゆる出番が奪われるわけである。そこにフロイトとベルグソンが、それぞれ違った問題意識から出発して無意識の存在に気づき、それを精神の本質的な構成要素として強調したのである。先ほど、フロイトとベルグソンがほぼ同時に無意識に着目したのは、二人ともユダヤ人であったことによると言ったが、精神を無意識と意識とが重層的に構成されたものと捉える見方には、ユダヤ神秘主義の影が認められるのである。ユダヤ神秘主義は、ユダヤ人の内部においても異端扱いされることが多いから、ヨーロッパの知的空間においてはほとんど影響力をもたなかった。それがフロイトやベルグソンを通じて、知的遺産として取り上げられたわけだが、それには、ヨーロッパの思想が東洋思想の影響を受け入れるようになったという時代背景が働いていた、というのが小生の見立てである。






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