おかあさん:成瀬巳喜男の世界

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成瀬巳喜男は家族を描くのが好きなようで、1939年には家族が力を合わせて生きるさまを描いた「はたらく一家」を作っており、戦後にはタネ違いの子供たちからなる母子世帯を情緒豊かに描いた「稲妻」を作った。そのほかにも何らかのかたちで日本の家族のあり方に目を注いでいる。1952年につくった「おかあさん」は、「稲妻」の直前の作であり、この時期の成瀬が家族に深い関心を寄せていたことが推察される。

田中絹代案じる母親を、香川京子演じる長女の視点から描く。この長女は中学校を出たばかりの年齢に設定されており、映画の終わりごろには18歳になっている。その長女が、素直な目で、母親と父親そして兄や妹との触れ合いを語るのである。この家族はほかに、母親の妹からあずかった少年も含んでいる。

家は貧しい。貧し過ぎて、病気になっても治療代が払えない。そのために、兄と父(三島雅夫)は死んでしまう。その上、貧乏がひどくて子どもの面倒をろくにみれないとはかなんだ母親は、子どもの幸せのためだと自分にいいきかせ、かわいい二女を親戚に養女として与えるのだ。

父親が死んだあと、父親の友人だったという男(加藤大介)が、母親を助けてクリーニング業を手伝う。そんな男を母親は頼りに思っている様子だが、それが長女には気に入らない。母親がほかの男に取られるのがいやなのだ。彼女にとって父親は、死んだ父親だけで充分だ。彼女はその死んだ父親を心から愛していたのである。

日常の時間が淡々と流れていくように描かれている中で、見どころはいくつかある。一つは町内の演芸会で長女が歌を歌う場面。彼女が歌う「花嫁ごりょう」の節にあわせて、幼い二女が可憐に踊る。その踊りぶりが見ているものをうっとりさせるのだ。また、長女の恋人の青年(岡田英二)も喉を披露する。この青年は男女平等とかいろいろ進歩的なことを言うのである。

二つ目は、養子にいくと決まった二女のために、一家総出で遊園地に遊ぶシーン。楽しく遊んだ後で、皆で天ぷらそばを食べにいく。子どもたちにとっててんぷらは、大変なごちそうなのだ。その翌日二女は親戚にもらわれていく。彼女は幼いながら自分の立場をよくわきまえていて、自分は家族を楽にさせるためにもらわれているのだと受け取っている。わずか四・五歳の少女がそこまで考えるというのは、貧困のきびしさと家族愛の深さと、その二つが絡み合った結果だと観客に納得させるのである。

この映画にもチンドン屋が出てくる。また紙芝居屋も出てくる。紙芝居屋が街をゆくと、大勢の子供が群がってきて、その後をついてまわる。小生の子供の頃は、よく見慣れた光景であった。

田中絹代はあいかわらず長州なまりが耳につくが、「銀座化粧」の時ほどではない。「銀座化粧」に比べれば、この映画の中の田中はそんなに饒舌ではないし、またしゃべる相手はたいてい子どもなので、勢い説教じみている。説教なら多少わざとらしいしゃべりかたでも不自然には聞こえないものだ。





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