柄谷行人の国家観:「世界史の構造」から

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柄谷行人の社会理論の体系はマルクスを強く意識したものだが、決定的な違いがある。国家を重視していることだ。マルクスは国家を、上部構造の一部だとしたうえで、その基本的な役割は階級支配の道具だとした。だから国家は無階級社会には存在しない。人類黎明期に階級がまだなかった時代には国家は生まれていなかったし、資本主義が揚棄されて無階級社会が実現された暁には国家は消滅すると考えた。それに対して柄谷は、国家は階級社会も含めて、およそ社会が成り立つための地盤だと考える。したがって柄谷の社会理論は国家論の上に成り立っているということができる。ある意味、彼の社会理論は国家論に還元されるといってよいほどである。

柄谷は、国家誕生の(遠い)起源を定住に求める。普通、定住は農耕文化がもたらしたものだと思われがちだが、じつはその逆で、定住の結果農耕が普及したのだと柄谷はいう。最初期の農耕が都市とその周辺部から始まったのは、定住が農耕を促した証拠だ。しかし定住がすぐに国家を生んだわけではない。定住の結果まず氏族社会が形成され、その氏族社会から国家が生まれた。そこには、ホッブズの社会契約論とパラレルな事情が介在したという。自然状態での個人の関係が敵対的な関係であり、それを終わらせるための智慧として社会契約が擬制されたと同じように、互いに敵対しあう氏族同士が、争いを避けるための方便として国家を形成したというのが柄谷の考えである。これは一種の思考の遊びのようなものだが、一応社会理論としての体裁は整えている。

いずれにしても、まず定住が生じて、それが氏族社会を形成し、その氏族社会の不始末な点を除くために国家が形成される、というような流れになっている。その意味では、定住がストレートに国家を生んだわけではない。柄谷は、「定住が国家をもたらしたのではない」と断言しているが、それは上述のような意味、すなわち定住がストレートに生み出したのは氏族社会であり、その氏族社会から国家が生まれてきたという意味なのである。これはあくまでも、思弁的な推論であって、柄谷は実証的なデータでそれを裏付けているわけではない。定住と非定住という概念セットをもちいて、人類の歴史を再構成しようとする試みである。

定住と非定住の根本的な相違を柄谷は、富の蓄積の有無に求めている。非定住社会の典型例を柄谷は遊動バンド社会と呼んでいるが、そうした社会では富は備蓄されることはなく、すぐさま消費され、しかもバンドの成員に平等に分配される。というよりか、現代の多くの家族が共同寄託のうえになり立っているように、すべての富がバンドの共有物と観念される。それに対して定住社会では、富の備蓄が可能である。そこから経済的な格差が生まれ、それが権力へと昇華し、そこから国家が生まれてくるという構図を指摘できる。人類の文明は都市から始まったとされるが、都市は無論定住の拠点である。だから人類は定住することで、文明へと歩みだしたわけだ。その一方で、格差や権力が生じた。定住以降の人類の歴史は、基本的には格差や権力をともなっており、その点では、共同体の成員相互に平等がいきわたっていた非定住社会とは根本的にちがう。

この議論からあらためて見えてくるのは、柄谷が人類の歴史を、定住と非定住とにわけて論じているということだ。人類の歴史は非定住から始まったが、その非定住とは、人間同士の平等を前提とした平和な社会を意味した。ある意味、原始共産制と呼んでもよい。それが定住へと移行することによって失われた。だから、その失われたものの回復を目指すのが人類の基本的な要求だと考えるのは自然である。そうした考え方は、マルクスの疎外論によく似ている。マルクスもまた、人類の類的本質というものを想定し、それからの疎外とその克服とを、熱っぽく語ったものだ。

ところで、氏族社会から国家への移行についての柄谷の議論はかなり思弁的である。なにもホッブズを持ちだして思想の遊びのようなことをせずとも、もっと実証的なやり方で、国家の発生を語ったほうが、読むものとしてはわかりやすい。柄谷の国家形成に関する議論は、ホッブズを超えて、カントの正義論にもつながっていくので、柄谷は国家論を単に実証的に論じるのではなく、倫理的な次元から論じたかったようだ。

国家はいったん成立すると、社会が成り立つための基盤のような働きをする。そういう意味では、上部構造ではなく、下部構造を形成するものだといってよい。じっさい柄谷は、経済的なシステムが国家のあり方を決定するとは見ずに、国家が経済システムがなり立つための枠組を提供していると見ている。そのように経済の更に底に国家を位置付けるというのが柄谷の社会理論の特徴である。それは、国家中心の社会理論であって、場合によっては国家一元論といってもよいほどだ。その視点に立てば、歴史時代以降の人類の歴史は、国家の変遷の歴史であったといってよい。だから、歴史学も社会学も国家についての学問に還元されることとなる。

そんなわけであるから、近代社会を考察するさいにも、国家の役割をマルクスのように従属的なものとする考えでは、なにも説明できない。国家はマルクスのいうような上部構造なのではなく、社会をトータルになり立たせるための地盤のようなものである。それをマルクスの用語を用いて下部構造というのでは、事態を正確にとらえることはできない。国家は下部構造として社会を成り立たせるための地盤の役割を果たすとともに、それ自体が、自己の意思をもった自律的な構造体である。マルクスは国家を階級対立の上になり立っていると見たが、柄谷は、国家そのものが一つの階級のような働きをしていると主張する。国家は、それ自体の固有の意思を持つ自立した存在なのである。だから、通常は諸階級の利害を調整したり、危機の場合には、国家そのものの意思を諸階級に強制する。国家は、それ自体の存続を目的とした、国家至上的な行動をする傾向が非常に強い。というより、国家そのものが、社会を入れる容器という位置付けなのである。容器が壊れれば、中身はこぼれざるをえない。だから、まず容器としての国家の存続をはかることが何よりも優先される。

こういうと、柄谷の社会理論は、国家一元論のように聞こえる。つまり国家を除外した社会理論は考えられないということだ。その考えに従うと、国家の揚棄とか、国家なき社会のあり方をめぐる議論はナンセンスなものとなるだろう。ところが柄谷は、国家の揚棄とか国家なき社会のあり方について議論したがる。それはどういうことか。柄谷の社会理論の骨格は、非定住から定住への人類史の転換というものがあり、国家の意義は定住社会について云々されるものであって、かりに非定住社会の復活が展望される場合には、国家もまた存在意義を失うはずだという思念に支えられたものである。したがって柄谷が国家の揚棄を議論するときには、非定住社会の復権を主張したいのだと思ったほうがよい。しかしいまごろ、非定住社会が実現される可能性があるとは思えないし、また、非定住社会のエートスだけの復活を目指したからと言って、そのエートスが国家の理念を代替するとも思われない。だから柄谷の国家揚棄論は荒唐無稽なところを感じさせると言わざるをえない。

要するに柄谷には、原始共産制ともいうべき非定住社会のエートスへのあこがれがまずあって、そのあこがれを実現したいという思惑から、国家の揚棄とか無階級社会の実現についての空想をたくましくしているというのが、じっさいのところなのではないか。





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