ロマン派:ハイネのドイツロマン主義批判

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ハイネの著作「ロマン派」は、スタール夫人の「ドイツ論」を強く意識して書かれた。ハイネがこの著作を書いたのは1833年のことで、スタール夫人は既に死んでいた。にもかかわらず、スタール夫人が1813年に出版した「ドイツ論」は、フランス人にとってドイツを理解するための唯一の手掛かりとして受けとられていた。スタール夫人はそのドイツを、フランスよりも優れた国として描き、その理由を、ドイツ人はナポレオンよりましな人間たちだとしたのだったが、それがナポレオンびいきのハイネには気に入らなかった。ハイネとしては、ナポレオンが体現した国際的な博愛主義こそが大事なのであり、ドイツ人の偏狭な民族主義は時代遅れだと言いたかったのである。

ハイネがこの著作の中で取り上げているのはドイツのロマン主義である。その主義をかざす人々をハイネは「ロマン派」と呼んでいるわけだ。ハイネがその代表者として取り上げるのはシュレーゲル兄弟である。兄のアウグスト・ヴィルヘルムのほうは、スタール夫人がドイツ滞在中に家庭教師を務めたことがある。スタール夫人がドイツびいきになったのは、アウグスト・ヴィルヘルムの手柄なのではないか、とハイネは考え、余計なことをしたものだと思って、アウグスト・ヴィルヘルムとその弟フリードリヒのシュレーゲル兄弟を、ドイツロマン派の代表人物としてとりあげ、かれらの時代遅れの偏狭さを批判したのである。

そこでハイネが批判するロマン主義とはどういうものか。ロマン主義は、ドイツだけではなく、イギリスやフランスでも流行した。いづれも「ロマン主義」という名を冠しているが、かならずしも統一した理念があるわけではなく、また、その政治的な傾向も、国によってだいぶ異なっている。イギリスやフランスでは進歩を追求する傾向が強いのに対して、ドイツでは逆に反動的な傾向が強い。

ドイツ・ロマン派についてのハイネの定義は次のようなものだ。「それは、中世の詩歌や絵画や建築に、芸術と生活に具体的に表れている、中世文学の再生以外のなにものでもなかった」(井上正蔵訳)。つまりドイツのロマン派とは、中世を賛美し、近代を否定する反動的な文学運動だというわけである。その中世を支配していたのは、カトリック教だ。そのカトリックについてハイネは次のようにいっている。「いっさいの肉の永劫の罰を含むあの宗教だ。肉を支配する主権を霊に与えるのみならず、霊を賛美するために肉を殺そうとする、あの宗教だ」。要するにロマン主義とは、ドイツの場合、カトリックが支配した中世の精神的な傾向にあこがれる文学だということになる。

それに対して古典主義と呼ばれる文学運動は、ギリシャ・ローマの芸術を規範にしている。ギリシャ・ローマの芸術は、キリスト教的な中世とは異なり、肉の解放を重視する。霊よりも肉体を優先するということだ。その霊の捉え方にしても、キリスト教は人間を作った神に霊性を求めるが、ギリシャ・ローマの人びとは人間そのものを神として祭る。キリスト教の神は外在的で超越的だが、ギリシャ・ローマの神は人間的で現世的だ。

ハイネは古典主義的文学の代表者としてゲーテをあげる。ハイネは若いころゲーテからいやな印象を受けて、以来ゲーテに批判的だったのだが、それは実は、個人的な嫉妬から出たことで、ゲーテの作品はすばらしいと認めざるを得ない、と言っている。ロマン主義と戦うためには、たよりになる旗印が必要であり、ゲーテほどそれにふさわしいものはないというわけであろう。ハイネは、ゲーテと並んでレッシングを賛美し、レッシングこそは近代ドイツ文学の創始者だというような言い方をしているが、レッシングを古典主義の代表者の一人だとは言っていない。レッシングは、そうした分類を超越した偉大な文学者だと思っているのであろう。

さて、シュレーゲル兄弟が代表するドイツのロマン派とはどういう特徴をもっているのか。中世のカトリック文化を賛美するということについては上述したとおりである。それは、具体的には偏狭な民族主義という形をとる。中世のカトリック文化と近代の民族主義がどのようなわけで結び付くのか、ハイネは説得力ある説明をしていないが、神はまず民族に宿り、民族を通じて霊の救済を実現するということらしい。ドイツ人の民族主義は、深い民族愛に支えられている。「ドイツの愛情の実体はこうだ。ドイツ人の心はますますせまくなり、冷気の中の革のように収縮し、ドイツ人は外国のものを憎悪し、もはや世界市民でもヨーロッパ人でもなく、ただ偏狭なドイツ人であることを願うのだ」。その偏狭さは実に念が入っている。狂気の沙汰としか思えない。「フランスの気狂いは、とうていドイツの気狂いのようには念が入っていない。なぜならポローニアスが言いそうなことだが、ドイツの気狂いぶりには筋道がある。ドイツの気狂いは、無類の屁理屈屋で、おそろしく良心的で、フランスの浅薄な阿呆などには思いもよらぬほど徹底して、そのドイツ的狂気ぶりを発揮」するというのである。

シュレーゲル兄弟はそうしたドイツ的狂気ぶりを絵にかいたようなものだ。そのシュレーゲル兄弟に教育されたスタール夫人は、ドイツ人について浅薄な理解しか持っていない。だからスタール夫人の視点を通じてドイツ人を見ると、とんでもない過ちを犯すことになる。そうハイネは、同時代のフランス人に向かって呼びかけているわけであろう。フランス人はフランス人らしく、ドイツ人の気狂いよりも、自国民の英雄であるナポレオンを大事にすべきである。ナポレオンはフランス革命の理念である、進歩、自由、平等といったものを体現していた。それはドイツ人にもっとも欠けているものだ。ドイツ人は進歩を憎んで反動を好み、自由よりも従属を、平等よりも貴族趣味を好むのだ。

ドイツ人の従属を好む傾向をハイネは、「ドイツの国民のように自分たちの君主に忠誠をささげる国民はない」と言っている。「ドイツ人は、君主から命じられることはなんでもやるからだ」と言うのである。それに比べてフランス人は、自分というものを持っている。それが自由という意味だが、その自由をフランス人はナポレオンによって体現している。フランス人がナポレオンを誇りに思うのは、十分な理由があるのだ。

シュレーゲル兄弟が代表するロマン派とは、ハイネによれば、ドイツ人の徹底した気狂いぶりを体現したものだ。その言動にはドイツ人らしい徹底ぶりと良心とが含まれているが、議論の内容たるや、空疎なおしゃべりに過ぎない。徹底した一貫さをもって空疎な議論を展開するというのは、ある意味滑稽さを感じさせることだが、議論している当事者はかれらなりに良心にしたがって行動しているのだ。ロマン主義とは、そうした滑稽な行動の様式といえなくもない。カール・シュミットは、ロマン主義を語源的に説明している。ロマンとはもともと作り話という意味である。人びとが集まってお互い自分の頭でひねり出した作り話を披露しあうところにロマン主義の本来の姿がある。シュミットはそのように定義したロマン主義を、近代の代議制議会の運営に見出したわけだが、それと同じような空疎な議論が、ハイネの生きていた時代のドイツでも繰り広げられていたというわけである。






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