海と大陸:エマヌエーレ・クリアレーゼ

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エマヌエーレ・クリアレーゼの2013年の映画「海と大陸(Terraferma)」は、南部イタリアの漁師気質を、アフリカ難民を絡ませて描いた作品。社会派の人間ドラマといったものだ。
舞台は、地中海に浮かぶ小さな島。世界地図に載っていないというだけで、それがどこにあるのかは明示されていない。おそらくシチリアの周辺あたりになるのだろう。アフリカの難民が絶えず流れ着いてくることになっているが、アフリカの難民がイタリアを目指してやってくるのは、シチリアをはじめ南部イタリアだ。

その島に住み、漁をする一家が主人公だ。その島では、政府による脱漁業政策によって、船を売って漁師を辞めるものが続出しているのだが、主人公の一家は漁師の生活にこだわる。とくに祖父とその孫だ。祖父の死んだ息子の妻は、船を売って、その金で、本土で暮したいと思っている。本土にいけば、女としてもう一花咲かせることができるかもしれない。ところが祖父がうんと言わない。そこで住んでいる家を、観光客向けの宿泊施設に宛てたりする。

そんな折、漁をしていた祖父と孫の前にアフリカから来た難民がボートに浮かんでいるのが見える。祖父はすぐに政府の巡視部隊に異変を通知するが、ボートから数人が海に飛び込んだのを見て、反射的に救助する。海で難民を見たら助けるというのが、漁師の伝統なのだ。

難民の一部を助けたことが当局によって追求される。助けた難民の大部分はすぐに家を去っていったが、一組の母子がそのまま残る。母親は妊娠しているのだ。彼女は出産すると、子どもたちを連れてトリノに行きたいと訴える。トリノには夫が出稼ぎに出ているのだ。生んだばかりの子は、夫の子ではなく、リビアの難民収容所に入れられたときに、看取に強姦されて出来た子だった。でも、事情を話せば夫は許してくれるだろう、そう女は考えて、なんとか本土に渡りたいと思うのだ。

そんな母子を本土に渡す努力をするところが、映画の後半だ。当局による厳しい取締りをくぐって、孫が母子をボートに乗せて本土を目指す、その様子を鳥瞰的に写しながら映画は終わるのである。

漁師たちの人間としての誇りと、それを踏みにじって恥じない権力の横暴さが対比的に描かれる、というのがこの映画の見所だろう。この映画が公開された年は、アフリカからヨーロッパをめざす難民が大きな社会問題になっていた。これはそうした事情を踏まえた作品だといえる。映画のなかで、死にかけた難民が浜辺に打ち上げられるシーンが出てくるが、その頃には日常的に見られた光景だったのである。






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