第三次世界大戦を憂える

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この年初に二年ぶりに催した四方山話の会は、その後コロナの第七波のためにまたもや停滞を余儀なくされたところだが、ここへきて終息の兆しが見えてきたこともあって、とりあえず例のロシアのメンバーで集まろうということになった。そこで小生は、季節柄旬のかつおを食いたいと全体幹事の石子に申し入れたところだったが、宴会幹事の浦子が言うには、いまは連休の最中で知り合いの小料理屋はどこもやっていない。だからいつもの中華屋でやることにした、あしからずと。そこで小生は、別にかつおに強いこだわりがあるわけではない、食いたくなったら女房に食わせてもらうさ、と応えた。

みな顔色がいい。年老いてなお意気盛んかつ身体壮健の模様だ。岩子などは、三日おきに一万七千歩の夜間巡回をしているそうだ。それは複数でしているのかね、と聞くと、いや単独でだという。七十過ぎの老人を深夜単独で仕事させるというのは、どうかと思うね。もし一人でいるときに脳梗塞にでもなったらどうするんだい。使用者責任の問題が生ずるんではないかい。そう言ったところが、余計な心配とばかり、倒れそうな可能性があるときには、やらないように気を付けるだけの話さと言うから、脳梗塞は予告もなしに突然やってくる。その時に誰も発見してくれなかったら、命の危険が高まる。そういう危険に七十過ぎの老人をさらすということが、どうも理解できないね。

のびのびになっていたスペイン旅行の計画は、やっとコロナがおさまりそうになっても、ヨーロッパで戦争が始まったから、またもや実現の可能性が遠のいたね、と言うと、スペイン旅行のことよりも、ロシアのウクライナ侵攻の話題が俄然前景化した。この問題については、小生は比較的冷静に見ているつもりだが、浦子と岩子は、プーチンを忌み嫌うこと蛇蝎の如くである。石子はあまり主観を言わないので、ウクライナに肩入れする浦・岩両子と喧嘩両成敗的スタンスの小生との間で、対立が生じた。それぞれ自分の知見を踏まえ互いを批判する。その内容は他人様に披露するような性格のものではないので、言及は避ける。

ただ、この紛争が大規模な衝突に発展し、そこに核攻撃が加わり、大惨事になる可能性は否定できない。それは第三次世界大戦といえるような凄惨な事態になるだろう。要するに我々はいま第三次世界大戦前夜に生きていると言ってもよい。だからもっと当事者意識をもって処さなければならない。他人ごとではないのだ、といったような議論が印象に残った。

この日は、生ビールで乾杯した後、紹興酒のオンザロックを四人で二本分飲んだ。量的には大したことはないが、日頃酒に弱くなっているので、酔いの回るのが早い。それでも飲み足りないとあって、例のガウチョおじさんの店に移った次第。

そこで石子が、島子の消息に触れた。島子は最近自叙伝を出版したので、それを是非四方山話の会の諸君に進呈したい、ついては希望者の数を知らせてくれたら、次に会うときに必要な冊数を持参するという。それはどれくらいのボリュームなのかね、ときくと、五百ページはあるという。それはたいへんだな、いきなり五百ページの本を渡されて、さあ読んでみろと言われてもなかなか対応できないから、本人の口からその本の概要を語らせたらどうかね。その概要を聞いて、面白そうだったら読んでみる気になるかもしれない。というわけで、次回の四方山話の会の席上、島子から自著の概要を語ってもらおうということになった。

この日は、店の中には我々以外客がいないとあって、マスターのガウチョのおじさんも会話に加わった。おじさんは終戦の年に六歳で、広島郊外から原爆投下の様子を目撃したそうである。親戚や知人の多くが死んだし、投下から数年間は、原爆症で死ぬ人も多かった。自分もその不安におびえていた、というような話をしてくれた。

ところで、石子は例の女性を正式に入籍したそうだ。それなら、何をおいても、年金の扶養手続きをしておいた方がいいよ。そのまま放置しておくと、お前が死んだとき、細君が遺族年金をもらえなくなるからね、とアドバイスしてやった。

こんなわけで、久しぶりに四方山話にふけった次第。次回は六月中にも、フルメンバーに声をかけてやろうということになった。





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