チャルラータ:サタジット・レイの映画

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サタジット・レイの1964年の映画「チャルラータ」は、イギリス統治下のインド社会の一断面を描いた作品。前作の「ビッグ・シティ」が同時代のカルカッタの中流家庭を描いていたのに対して、こちらは植民地時代のカルカッタの上流家庭を描いているという違いがあるが、夫婦を中心としたインドの家族のあり方を描いているという点に共通するものがある。

舞台は、新聞社を経営する男の屋敷。画面はほとんどその家を舞台に展開する。その屋敷には、妻のチャルラータのほか、マンダと呼ばれる女性も住んでいるのだが、この女性は親戚らしい。チャルラータはその女性を相手に時折カードで遊ぶほかは、刺繡をしたり、本を読んで時間をつぶしている。夫は、仕事が忙しいことを理由にして、妻をほったからしにしているのだ。

そんな屋敷にある日、夫の従弟がやってくる。夫はその従弟に、チャルラータには文才があるようだから、その才能を伸ばしてやってくれと頼む。頼まれた従弟は、チャルラータとともに時間を過ごし、文章の書き方の指導をしたりする。そのうち二人の間には、次第に愛に似た感情が生まれてくる。しかし、インド社会では、不倫は厳しく禁止され、その禁忌が人々の心に根付いているらしく、二人の愛は成就しない。従弟は、罪を犯すことを恐れて去り、チャルラータは強い喪失感に襲われる、というような内容だ。

それだけでは、ただのメロドラマに堕してしまうため、いつくか周縁的なエピソードが挟まれる。夫はリベラルな思想の持ち主で、かれの経営する新聞もリベラルな論調だ。イギリスの植民地というインドの立場上、リベラルを押し通そうとすれば、独立運動に発展するのが勢いだと思うのだが、夫やかれの新聞にはそうした過激さはない。かれらはせいぜい、本国のイギリスで、自由党が保守党に勝ち、リベラルな政治をすることに期待をかける程度なのだ。映画の中には、グラッドストーンが選挙に勝ったことを喜ぶシーンが出てくるが、それはおそらく1880年の選挙に自由党が勝ち、グラッドストーンが第二次内閣を形成したことをさしているのだろう。

従弟がチャルラータの書いた文章を、「博愛」という雑誌に投稿する。チャルラータは自分にで投稿したことを表面では非難するが、心の中では喜んでいる。自分の才能が認められたと思うのだ。じっさい彼女の才能は、夫も認めているところ。夫は、やがて彼女に文筆に取り組むことを勧めるであろう。

映画の結末は、チャルラータと従弟との淡い恋が破れることと、その恋を知った夫が、チャルラータを非難するのではなく、彼女を放置してきたことを反省するというものだ。その反省に立って夫は、チャルラータとの結婚生活を、もっとましなものにやり直そうと考えるのである。いかにも倫理的なインド人の好みにかなった結末というべきであろう。

なお、画面が白黒ながら非常に美しい。際立った陰影対比はバロック的といってよい。そのような陰影対比は、イギリスの映画作家キャロル・リードが得意としていた。おそらくサタジット・レイは、リードの画面作りに学んだのだと思う。





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