宵待草:竹久夢二の美人画

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夢二は、セノオ楽譜のためにせっせとイラストを描いたが、なかには、自分が作詞を手掛けたものもあった。「宵待草」はその代表的なもので、いまでも夢二の代表曲として親しまれている。初版は1918年に出て、その際は、「待宵草」というタイトルだった。上の絵は、1924年に出版されたものの表紙絵である。

詩のインスピレーションとなったのは、1910年、たまきとともに銚子の犬吠埼に遊んだ折の体験といわれる。ここで夢二は、秋田出身の女カタと出合い、一目ぼれしたのだったが、その恋が実ることはなかった。翌年夢二は再び銚子を訪れたが、カタが郷里で結婚させられたと聞く。それではいくら待っていても来ないわけだ。そういう気持ちを、詩に読み込んだという。

歌詞は、「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」である。これは何度も推敲を重ねた末に出来上がった。多忠亮の曲をつけて発表するや、たちまち大評判となった。

絵には、女の姿が描かれているが、本来は男である夢二が、女を待ちわびているのである。それでは絵にならないから、女が男を待ちわびるというふうに変えたのであろう。






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