あなたの女:カルペンティエール「失われた足跡」

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カルペンティエールの小説「失われた足跡」の根本的テーマは、文明と非文明との対比を描くことにあると言ったが、その場合、文明と非文明とは、価値の差とは考えられていない。人間の生き方の相違として捉えられている。ふつう我々文明社会に生きているものは、文明人である自分自身を基準にして、それとは異なる生き方をしているものを、発達の遅れた野蛮人として捉えがちである。じっさいこの小説の主人公も、最初はインディオたちを一段劣った存在として捉えていた。それは、同行者が自分の冒険譚をするとき、「いささかの悪意もなく、ごく自然な調子で、『我々の一行は、三人の<男>と十二人の<インディオ>だった』という言い方をしていた」(牛島信明訳)ことについて、主人公がその奇妙な区別を受け入れていたことにあらわれていた。

しかし、インディオたちとともに生活しているうち、「インディオを現実的な人間存在の周辺的存在とみなす、思いあがった、多かれ少なかれ空想的な報告を通して」、自分が彼らに対してあやまったイメージを形成していたことに気づく。「彼らは自分たちの領域で、自分たちの環境において、独自の文化の完璧な所有者だったのだ。<野蛮人>という馬鹿げた概念ほど、彼らの現実からかけ離れたものはなかった。わたしにとっては基本的であり、また必要であることを知らないからと言って、彼らを原始的ときめるのは、的外れもいいとこだった」

彼らはたしかに新石器時代を生きているが、しかしそれが、我々の文明社会より劣っているとは、だれも言えない。劣っているのではなく、単に違っているというだけである。その違いは、文明人は社会に合わせて生きるように訓練されているのに対して、非文明人は、人間社会よりも自然に適合して生きている、というところに存する。言い換えれば、文明人は他律的な基準に従って生きているのに対して、非文明人は、より自律的に生きているのである。

そうしたインディオたちの自律的な生き方を象徴的な形で実現しているのが、ロサリオである。このロサリオに主人公は夢中になってしまうのだ。彼女は自分自身を「あなたの女」と三人称で呼び、「あなたの女は眠っていたの」とか、「あなたの女はあなたを探していたのよ」などと言うのだが、しかしそれは彼女一流の世界解釈の適用であって、彼女自身は、あくまでも自分に忠実に、つまり自律的に生きている。だから、主人公から結婚を申し込まれたとき、次のような理屈をつけて、きっぱりと拒絶するのである。

「彼女によれば、結婚、すなわち法的拘束は、女が男に対して自分を守るすべての手段を奪い取るものだった。邪道にはしる相手から、女を守る武器は、いつでも好きな時に男を捨てることができ、それに関して男がいかなる権利の行使もできないということだった。ロサリオにとって法律上の妻とは、夫が不義をはたらき、虐待し、酒におぼれていても、家を捨てれば警察に追われ、探し出される女であった。結婚するということは、男がつくり、女が作ったのではない法律の重圧に屈することであった」

ロサリオのこういった考えは、いわゆる文明人の風習を見聞きすることで強まったのであろう。だからロサリオは、「あなたの女」の男が、姿を消してしまうと、自分の女としての自律的な生きかたに従い、別の男と新しい関係を結ぶのだ。

知人からロサリオが別の男の女房になり、妊娠したことを聞いた主人公は、「頭を殴打され、耳が聞こえなくなったような気がした。そして皮膚の内側から、無数の冷たい針が外へ突き抜けるような感じがした。やっとのことで酒瓶に手を伸ばしたが、そのガラスの触感が肌に焼きつくようであった」

そんな大事な女なら、一時も放っておいてはだめなのだ。だがそれに気づいたときは手遅れだった。自由な女は、その意に反して取り戻すことはできないのだ。





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