対抗者:サタジット・レイの映画

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サタジット・レイの1970年の映画「対抗者」は、医学部を中退して職を探している青年の数日間を描いた作品である。同時代のインド社会の厳しい現実を、写実的に描いている。舞台がカルカッタであり、サタジット・レイは同じような趣向の作品を以後二本つづけ作っていることから、それらをあわせて「カルカッタ三部作」と呼んだりする。

映画は、満員のバスに揺られて企業の面接会場に赴き、そこで発言の言葉はじをとられて不採用になる青年を描きだすことから始まる。青年は、決して過激思想の持ち主ではないのだが、アポロの月探索よりベトナム戦争のほうに関心があるといったところ、君はコミュニストかねと言われるのである。

この青年は、父親が死んだために、大学の医学部を中退せざるを得なかった。遊んでいるわけにもいなかいので、就職したいのだが、できれば医学関連の仕事がしたい。しかし世の中は甘くはない、仕事を見つけること自体が至難のわざなのだ。

そんな状態で、仕事探しを続ける青年の数日間が、淡々と描かれる。青年には妹と弟がいる。かれは自分のことだけではなく、妹たちや母親の心配もしないではおれない。いままで父親が果たしていた役割を、長男が果たすというのが、インドの家族関係のあり方なのだと、伝わってくるところである。

妹が毎夜遅く帰ってくることを、青年は非常に心配する。そこで妹の会社の上司に談判して、残業させるなと申し入れる。妹にしては迷惑なことで、じっさいは残業ではなく、自分の趣味のために夜遅くまで出歩いていたのだ。一方、弟のほうは、これも医学をめざしていたが、兄同様中退に追い込まれ、どこか地方で仕事を見つけるといっている。そんな弟のために兄は自分の無力を感じる。なにしろ自分自身の身の始末もつけられないのだ。

青年には何人かの仲の良い友達がいる。その一人とは、互いに兄弟と呼び合っているので、実の兄弟なのかと思ったらそうではない。かつての日本社会がそうだったように、この時代のインド人社会でも、親しい間柄で兄弟のちぎりをかわすことがよく行われていたらしい。映画では、初対面の人間に対しても「兄弟」と呼びかけていたから、「兄弟」という言葉は、挨拶言葉のようにも聞こえる。

その兄弟という友達に、青年は娼婦をあてがわれる。しかし、うぶな青年は娼婦を抱くまでにはいたらない。そそくさとひきかえしてしまうのだ。そのかわりといったらなんだが、普通の家庭の娘と仲がよくなる。その仲は恋愛にまで発展しそうだが、映画はそこまでは追わない。

青年は、ある企業の面接に赴く。そこで非常に不愉快な目に合う。面接会場には大勢の志願者が詰めかけ、いつ自分の番がまわってくるかもわからない。そのうち、暑さのために卒倒するものもいる。青年は、せめて椅子を用意してほしいと会社側に申し入れるが、職を求めるものが余計なことを言うなと拒絶される。その態度があまりにも横柄だったので、さすがの青年も堪忍袋の緒を切らし、面接会場をめちゃくちゃに破壊するのだ。

結局カルカッタで仕事を見つけることができなかった青年は、田舎に職を求めることになる。田舎では、折角仲良くなった娘とも頻繁にあうことができない。そんな青年のいらだたしさを映し出しながら映画は終わるのである。

こんな具合にこの映画は、インドの同時代における世相を写実的に描いた作品である。インド風レアリズム映画とでもいうべきか。なお、タイトルの「対抗者」とは、面接選考のライバルという意味らしい。





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