ジョゼフィン・クレイン・ブラッドリーの肖像:ミュシャの世界

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ミュシャがたびたびアメリカを訪問した目的の一つは、畢生の大作「スラヴ叙事詩」の制作のための資金援助を募ることだった。その提供者として名乗りをあげたのは、大富豪チャールズ・ブラッドリーだった。ミュシャはブラッドリーの資金援助を得ると、故郷のチェコにもどり、1910年から1928年にかけて、20点からなる連作「スラヴ叙事詩」を完成させた。

「ジョゼフィン・クライン・ブラッドリー」と題するこの絵は、ブラッドリーの娘の結婚祝いとして描かれたものである。別名を「スラヴィア」といわれるように、モデルはスラヴ風の衣装に身を包んでいる。ブラッドリー自身スラヴ趣味にかぶれていたので、娘にスラヴ風の格好をさせたかったといわれる。この絵はのちに、チェコの紙幣のイメージにも採用されたので、ブラッドリーはチェコ人の間に長く記憶されるとこになった。

円を背景に女性を配し、周囲に凝った装飾を施すところは、装飾パネルの女性像の応用といえる。その装飾には、日本の工芸品の影響が指摘されている。ミュシャもまた、アール・ヌーヴォーの一員として、ジャポニズムの洗礼を受けていたのである。

(1908年 カンバスに油彩とテンペラ 165×123㎝ プラハ国立美術館)





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