スラヴ叙事詩:アルフォンス・ミュシャの愛国芸術

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アルフォンス・ミュシャは晩年を故郷のチェコで過ごした。そこで長い間温めてきた連作の実現に取り組む一方、プラハ市庁舎ホールの装飾などを手掛けた。ミュシャはアール・ヌーヴォーの大家としての名声が確立していたが、もはや時代遅れとみなされ、したがってミュシャは、ふさわしい尊敬を受けたとはいえなかった。だがそんなことは、ミュシャにとってどうでもよいことだった。彼はチェコに戻った年の翌年(1911)に、プラハ郊外のズピロフ城を借り、一家でそこに移り住んで、大作「スラヴ叙事詩」の制作にいそしんだ。このシリーズが完成したのは1928年だから、ミュシャは実に17年をかけたわけである。

このシリーズは20点の巨大画面で構成され、テーマは、古代から近代にいたるまでの、スラヴ民族の苦難と栄光の歴史である。ミュシャは愛国心が非常に強く、故国のために偉大な仕事をなしとげ、歴史に残るような人物になりたかったのである。愛国心が芸術の創作を駆り立てた事例は、ほかにはあまり見られないのではないか。

巨大なカンバスにテンペラで描いており、絵のスタイルにも雰囲気にも、それまでの装飾的な作品とは根本的な相違がある。こちらは、歴史的な場面をカンバス上に再現したのだったが、構図にも色彩にも幻想的な雰囲気があふれている。スラヴ人は情緒豊かな民族だといわれるが、そうした豊かな情緒がふんだんに感じられるように描かれている。

ミュシャはこの連作を、常時展示を条件にプラハ市に寄贈した。しかしあまりの巨大さのために、ふさわしい常設展示場は確保できず、ひっそりと保管される状態が続いた。常設展示されるようになったのは、1950年以降、南モラビアのモラフスキー・クルムロフの宮殿においてだった。2012年以降は、プラハのヴェルトィルジニー宮殿で常設展示されている。

上のポスターは、1930年にブルノで開催された展覧会のためのポスター。こちらは、スラヴ衣装に身を包んだ少女を登場させて、従来のミュシャらしい描き方が感じられる。





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