ボンベイ:インド風ロメオとジュリエット

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1995年のインド映画「ボンベイ」は、インド風ロメオとジュリエットといったものだ。対立しあう集団に帰属する男女が愛し合うという設定である。シェイクスピアの悲劇は、家族同士の対立がテーマであり、その対立に引き裂かれるようにして、二人は死んでいくのだったが、この映画の中の男女は、相対立する宗教によって翻弄される。だがロメオたちとは異なり、死を強いられることはない。

インドでは、パキスタンとの分裂後もイスラムが国内に多数存在し、多数派のヒンディーとの間で抗争が絶えなかった。その頂点となったのが、1992年から翌年にかけての大規模な衝突である。この衝突は、インド北部のアヨーディアで発生したヒンディーによるモスク破壊をきっかけに広がったもので、その余波がボンベイにも押し寄せてきて、大規模な衝突に発展した。映画はその宗教対立を背景にして、それに翻弄される男女を描く。

この男女は、もともとインド最南部のタミールナド州の村出身だった。そんなこともあって、映画で使われる主要言語はタミル語だそうだ。それはともかく、男はヒンディー、女はイスラムの家に生まれたとあって、両方の親たちが二人の結婚に強く反対するばかりか、互いに争いあう。映画の前半は、そうした家族の対立に翻弄される男女を描くわけで、その点ではロメオとジュリエットを想起させる。

親から逃れた二人は、ボンベイで二人だけの生活を始め、やがて双子が生まれて、ささやかな家族を作る。そんなかれらにとって痛恨だったのは、ボンベイでも宗教暴動が爆発して、かれらの家族がそれに巻き込まれたことだ。それ以前に、両家の親たちは和解しており、やっと晴れて結婚生活を送れると思った矢先に、この事態に見舞われたわけである。

宗教対立を背景にした暴動はきわめて暴力的で、主人公たちは命の危険にさらされるばかりか、子どもたちを見失ってしまう。それがかれらを絶望させる。だが最後には再会がかない、一家は強い絆で結ばれる、というのが基本的な筋書きだ。

その筋書きが、例によって歌と踊りをまじえながら展開していく。インド映画には歌と踊りは欠かせないようで、どんなシリアスな映画にも必ずといってよいほど、挿入される。観客はそうした歌と踊りを楽しみながら映画の筋書きを追っていくわけで、二重の楽しみに恵まれるというわけである。しかも、その踊りというのが面白い。男は下腹部を突き出し、女は尻を突き出して、エロチックな仕草を繰り返す。実にあっけらかんとしている。

それにしても、この映画の中の宗教対立を見ていると、インドという国は実に分断の厳しい社会だと思わせられる。その分断はカーストの間にもあるので、インド人はカーストによる縦の分断と、宗教による横の分断を主要軸として、様々な分断によって切り刻まれた社会だとの印象を受ける。そのように分断された社会には、国としての発展は望めないのではないか。そんなことを強く感じさせる映画である。





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