森政稔「迷走する民主主義」を読む

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森政稔の著作「迷走する民主主義」は、前著「変貌する民主主義」の続編のようなものかと思って読んだ。前著は、民主主義についての、森なりの視点からする原理的な考察だった。そこで森は、自由主義と民主主義の関係について触れ、両者は調和的な関係ではなく、緊張関係にあるとしたうえで、冷戦終了後の新自由主義全盛の時代を迎えて、民主主義が形骸化していく傾向に警鐘を鳴らしていた。本著は、そうした問題意識の延長で、今日の民主主義が直面する課題をいっそう掘り下げて議論しているのではないかと思って、読んでみたのであった。

読んでの印象は、ちょっとした肩透かしを食らったといったものだった。「迷走する民主主義」というから、民主主義が世界的な規模で迷走しているのかと思ったら、そうではなく、2009年に日本で成立した民主党政権への幻滅をあらわしているのである。森は、傍目にも異様に見えるほど、民主党政権の失敗をあげつらい、あたかも今日の日本の民主主義の迷走をもたらしたことに、民主党が大きな責任を負っていると断罪している。民主党を、頭から無責任扱いしているのである。だが、無責任な連中に、責任を云々してもしても、はじまらないではないか。

これはおそらく、期待の裏返しかと思う。前著において森は、新自由主義の問題点を整理したうえで、それをどうコントロールしていくべきかという問題提起をしていた。民主党政権は、その問題提起にある程度応えてくれるのではないか、と森は思ったのではないか。というのも、民主党はなんとなく新自由主義への批判勢力といった印象を振りまいていたからだ(たとえば鳩山の「友愛の政治」)。だが、民主党が政権を握ったあと実際にやったことは、かえって新自由主義を促進するようなことばかりであり、しかもその政策には全く定見というものがなかった。無責任な連中が無責任の限りを尽くしたというのが民主党政権三年間の、森なりの評価である。

そうした期待外れの感情があったために、森は異様に映るほど、民主党に厳しい物言いをすることになったのだと思う。

その森自身、新自由主義は当面世界を席巻し続けていくだろうと見ている。森なりの分析によれば、いまや国民は階級意識に立って行動することはなく、消費者として行動するようになってきている。そうした消費者としてのマインドが新自由主義と親和的だと見ているのである。こうした消費者を基準にした政治・経済システムの見方を森は、見田宗助から学んだようである。また、多元的な社会を構想する英米系の政治思想からも影響を受けているようである。

ともあれこの著作は、民主党政権への罵倒に近い非難の言葉で充満しており、とても科学的な言説ということはできない。むしろ民主党の失敗をだしにして、自民党政治のほうがましだとうそぶくような、プロパガンダ的文書というべきかもしれない。本人は、自分自身の党派性は認めないかもしれないが、これは既存の資本主義的・自由主義的社会システムのアポロジーというべきであろう。

この著作のなかで森が、ハイエクとシュミットの名にたびたび言及しているのは、そうした森の基本姿勢の現れだろう。ハイエクは自由の個人の自由の絶対性を説き、シュミットは決められる政治の必要性を説いた。決められる政治が、個人の絶対的自由を守るというのが、森の思い描く理想的な社会のあり方のようである。





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