泥水のかおり

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NHKのニュース番組を見ていたら、豪雨による浸水現場を取材していたアナウンサーが、泥水の強烈な匂いをさして、「泥水のかおり」と言うので、思わずのけぞってしまった。泥水の匂いといえば、人間を不快にする匂いである。それを「泥水のかおり」というのは、どういうつもりか。

日本語には、臭覚をあらわす言葉として、古来「匂い(にほひ)」と「香り(かをり)」という二つの系統の言葉があった。いずれもほぼ同じような意味合いで使われ、たがいに「価値的」な序列はなかった。強いて言えば、「匂い」のほうは不快な臭覚についても使われる一方、「かおり」のほうは、不快な臭覚には使われず、もっぱら快適な臭覚に使われていた。この区別は近年(明治以降)厳格になって、「かおり」という言葉が、不快な臭覚に使われることはなくなる一方、匂いを快適な臭覚に使うことがほとんどなくなった。

これには、使い古された言葉は次第に否定的な意味合いを帯びるようになるという、日本語の歴史の特徴がはたらいている。おそらく「匂い」という言葉のほうが汎用性があって、否定的な臭覚に使われることもあったため、次第にその否定的な意味合いが強まっていったのだと思う。

ところが、このアナウンサーは、「かおり」という言葉を否定的に使っているわけである。これは日本語の歴史上初めての事態ではないか。もし、「かおり」を否定的な意味合いにも使うようになれば、遠からず、「かおり」という言葉を快適な臭覚に使うことに、人は心理的傾向を感じるようになるはずだ。

そこで、肯定的な意味合いを強調するための言葉を、新たに作り出すか、「かおり」とう言葉で、肯定・否定両方の意味合いを持たせることに甘んじるか、選択を迫られる事態が予想される。日本語の特徴からして、「かおり」一つで、肯定・否定両方のニュアンスを持たせることには、非常に抵抗があると思われるので、日本人はおそらく、臭覚を表現するために、第三の言葉を作らざるをえなくなると思われる。

どんな言葉が生まれるか、いまは予測できない。





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