
1923年9月1日の関東大震災を、萬鉄五郎は茅ケ崎で体験した。茅ケ崎あたりは、震源が近いこともあって、揺れがすさまじかった。だが萬は冷静に行動し、炊事道具を持って非難したので、飢えにさいなまれることはなかったといわれる。
この絵は、自宅の付近にあった南湖院という結核療養所が地震に揺れる様子を描いたもの。画面左手に見えるのは、三階建ての主屋で、その窓から患者らしい人間が空中に投げだされる様子が描かれている。一方、地上の鉄道の破壊された枕木のあたりには、おそらく一目散に逃げる男が描かれている。
その枕木を含めて、あらゆるものが激しい破壊を被る様子が伝わってくる。萬は、空の部分を、刷毛で上下にこすりつけるように無造作な線で埋めているが、これは地震の妖気を表現しているのであろう。
全体として、曖昧な輪郭が醸し出す事物の表現がなんとも安定しないのは、地震のために事物があいまいに溶け合ってしまったからだろう。これは、地震の翌年に公表されたが、萬には地震の体験がまなまなしく記憶されていたに違いない。
(1924年 カンバスに油彩 57.0×73.0㎝ 岩手県立博物館)
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