存在と無:サルトルの現象学的存在論

| コメント(0)
サルトルの哲学上の主著「存在と無」は、現象学的存在論の試みである。もっともサルトル自身はこれを、「存在論的現象学」と言っている。どちらにしても、現象学と存在論とを結びつけようとするるものである。そこで、現象学とは何か、存在論とは何か、ということが問題になる。サルトルが言うところの存在論的現象学が、存在論という言葉を先に持ってきているように、サルトルは存在優位の立場をとっているかのようにも見える。しかし、存在論という言葉には的という修飾語がついていることからすれば、これはあくまで形容詞であり、言葉の本体は現象学にあるといえないこともない。

言葉の遊びはこれまでにして、サルトルは存在論という言葉をハイデガーによって基礎づけ、現象学のほうはフッサールの意識の学問によって基礎づけている、ということができる。要するにフッサール流の意識の現象学の方法を用いて、存在論を展開しようというわけである。だが、周知のように、フッサールは存在にこだわることをしなかったし、むしろ存在が実体をあらわすものだとすれば、それは無用の概念だと考えていた。フッサールは、意識の直接与件としての直観から出発し、直観の内容を現象と名付けたうえで、哲学の対象をこの現象に限定した。カントのように、現象の背後にそれの根拠となる物自体(実体)のようなものを想定することはしなかった。そういう点では徹底した現象一元論者である。こうした現象一元論は、19世紀末にカントの復興としての新カント派の間で流行し、ベルグソンのような新しいタイプの思想家や日本の西田幾多郎などにも大きな影響を与えた。

フッサールの現象学は現象一元論であるから、現象のほかに何物も考慮しない。現象の背後にあってそれを生起させる実体のようなものは度外視するし、したがって現象の担い手としての存在という概念も棚上げする。存在を頭から無視する、というのではない。とりあえずなしでも済ませられるものは、なしで済まそうというのである。これをフッサールはエポケー(判断停止)と言った。つまり存在についての判断を停止して、現象のみに焦点をあてたのである。ところで、論理学をはじめ、科学的な装いを大事にする学問は、存在についての言説と言ってよい。論理学は存在についての判断の学問であるし、自然科学は自然的な存在世界についての実証的な学問である。ところが現象学は、存在を問題にしない。あくまでも現象の解明に自己の役割を限定する。

そういうわけで、フッサールから出発する限り、現象学と存在論とが結びつくことはないはずなのである。ところがサルトルは、その二者を結びつけた。それには、ハイデガーの決定的な影響があったのだと思われる。ハイデガーとサルトルとの間には奇妙な対立関係があって、ハイデガーのほうではサルトルを自分とは全く無関係な人間と考えていたが、サルトルはハイデガーの弟子を自認していた。サルトルがハイデガーにいかれたのは、かれ(サルトル)が実存と考えるものを、ハイデガーが初めて解明してくれたと思い込んだからだ。実存とは人間存在を指す言葉であり、その人間存在こそが本来の哲学の課題であるはずだ、という問題意識がサルトルにあって、その問題意識にまともに答えたのがハイデガーだと思い込んだわけである。しかし、そのハイデガーの存在論をなぜ現象学と結び付けたのか。

ハイデガーがフッサールの弟子だったことはよく知られていいる。だからハイデガーも現象学的な手法を用いて自らの思想を表現することから始めた。しかし、ハイデガーの存在論はやがて現象学をパスして、直接人間の実存に迫るという態度をとるようになった。ハイデガーは、主著「存在と時間」を現象学的な試みと自ら述べているが、フッサールが看破したように、厳密な意味では現象学ではない。現象学は、意識の直接与件としての直観から始め、始終そこから逸脱しないことを学問的な使命としていたが、ハイデガーの存在論は、現象を飛び超えて直接存在に迫ろうとした。フッサールが学問の師と考えていたカントの物自体の世界に、ハイデガーは無媒介に直入しようとしている、というのがフッサールのハイデガー批判の要点であるが、じっさいハイデガーは、現象学の厳密な手法を遺棄して、直接存在の秘密に迫ろうとしたと言えるのである。

一方サルトルは、あくまでも現象学的な方法を用いて存在論を展開しようとした。ハイデガーのこだわった存在の秘密を、現象学的に解明しようとしたのである。だが現象学と存在論とは、先ほども言及したように、本来結びつかないものである。それをサルトルはどのように結びつけたのか。

じつはサルトルにとって、都合のいい先輩が存在したのである。デカルトである。デカルトは、意識の直接与件から出発したことでは、フッサールのみならず近代ヨーロッパ哲学の基礎づけをした人であるが、かれは、意識から出発しながら、その与件の範囲に議論を限定することでは満足しなかった。意識を単なる現象として捉えるだけでは気がすまず、それを一つの実体と見なしたのである。実体というのは、極めて濃厚な存在論的な概念である。つまり、デカルトの場合には、意識から出発しながら、その意識に実体性を認め、さらに意識の対象としての物質界にも実体性を認めた。フッサールに言わせれば、意識の現象学というべきものが、存在論を基礎づけるかたちになっているわけである。

そのデカルトのアクロバット的な変転と同じことを、サルトルも試みたといえる。デカルトは、意識の直接与件から出発しながら、その意識のもつ構造上の外観を強調しながら、「我思うゆえに我あり」という、例の有名な存在論的な言明を正当化したわけである。それとほとんど同じことをサルトルもやったといえる。サルトルもまた、意識の直接与件から出発しながら、意識の自由が存在を基礎づけるという論法を駆使することで、存在を意識によって基礎づけたのである。デカルトの場合は、「我思うゆえに我あり」と控え間に言明されたいたことが、サルトルにあっては、「我の考える意識がすべての存在を基礎づける」という積極的な言明へと変わっていったのである。

いづれにしても、意識を絶対的な前提とする点は、デカルト、フッサール、サルトルの三者は共通している。かれらは意識一元論者ということができる。意識一元論とは、要するに唯心論と異なるものではない。しかもその唯心論が想定する心とは、完璧に意識と範囲が一致するものであって、20世紀に入って有力になってきた無意識の概念を徹底的に排除するものである。そういう点ではサルトルは、遅れて生まれてきたデカルトと言えなくもない。





コメントする

アーカイブ