イングマール・ベルイマン「魔術師」:権力に迫害される魔術一座

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イングマール・ベルイマンの1958年の映画「魔術師(Ansiktet)」は、19世紀半ばのスウェーデンを舞台に、旅の魔術師一座の受難を描いた作品。19世紀もなかばともなれば、科学的な思考が普及して、伝統的な魔術はうさん臭い目で見られるようになっていた。そういう時代状況を背景にして、魔術師たちが迫害されるところを描いたわけである。21世紀の今日では、魔術は手品のようなものと思われて、娯楽として消費されるのであるが、19世紀の半ばのスウェーデンにおいては、魔術はまだ民衆の心をとらえるものをもっており、単なる娯楽とは思われていなかった。そんな魔術使いたちを、権力者たちが迷妄と決めつけ、迫害するのである。

権力者たちの迫害の理由が振るっている。いまは科学の時代であり、民衆の偏見につけいる魔術は宗教と同じように根拠のないものだというのである。そういうことで、魔術と宗教とを一緒くたにして、結果としてキリスト教を嘲笑する効果を生んでいる。この映画を作った直前にベルイマンは「第七の封印」とか「野いちご」といった宗教的雰囲気の濃厚な作品を作っており、それらと比較するとこの映画は、宗教批判的な色彩が強いといえる。

マックス・フォン・シドー演じる魔術師とその一座が、ある町に興行にやってくる。その途中、魔術師は一人の芸人と出会う。その芸人にも魔術の心得があり、死んだふりをして人びとを本気にさせたりする。

さて、町についた一行は、町の権力者たちによって拉致監禁される。一応接待という名目だが、実際は、かれらに魔術を演じさせて、その虚構性を衆目にさらそうというのである。それに対して、一座のものは、それぞれの立場に応じた反応を示す。大方の座員は、魔術師を見限って堅気の暮らしに戻ろうと思うのだが、魔術師とその妻だけは、引き続き魔術巡業の旅を続ける決心をする、というような内容である。

マックス・フォン・シドーが鬼気迫る演技ぶりを見せている。かれはこの時まだ二十代の若さだったが、中年の熟練した魔術師を演じている。メークの仕方もあるのだろうが、その風貌はまさに魔術師そのものである。





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