岸田流「新しい資本主義」とは資本家にやさしい資本主義?

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岸田政権が発足して以来、小生は表立っての批判を差し控えてきた。岸田政権に大きな期待を寄せているわけではないが、安倍晋三やその亜流に比べれば、ずっとましだろうと思い、当面は彼に政権をゆだねて余計なことは言わないようにしようと考えたのだ。だが、最近の彼の振舞いを見ていると、そうした期待が裏切られたと感じざるを得ない。その理由は二つある。一つはかれの独善的な傾向が目立ってきたということだ。もう一つは、かれが鳴り物入りで喧伝した「新しい資本主義」の具体的な内容が見えてきたことだ。

岸田首相の独善的な傾向は、最近の安倍国葬問題で表面化し、いまではだれでも感じていることだろうから、小生がそれに付け加えて言うことはない。もっと大きな問題は、かれが「新しい資本主義」と呼ぶものの内容が、多くの日本人にとって明るい未来を約束するようなものではなく、かえって暗い未来を予測させるということだ。

岸田首相がいうところの「新しい資本主義」は、いまのところ二つの柱からなっているらしい。一つは投資の奨励だ。これは金を持っている人を積極的に投資に向かわせるために、株などの投資から得られた利益に課税しないというものだ。NISAと呼ばれるこの政策は、ただに日本人の投資家だけでなく、世界中の投資家に日本への投資を呼びかけるものだ。世界中から投資を呼び込む制度として評判が上がっているらしいが、この制度によって恩恵を受けるのは、日本と外国の投資家であって、ほとんどの日本人には全く関係がない。というより、この制度によって、持つものと持たざるものとの格差が拡大し、今でさえ格差社会と言われる日本が一層深刻な格差社会になっていくだろうことを予測させるものだ。

これは、経済全体の底上げを狙う成長主義の考え方だ。こうした考えは、岸田の属する派閥の祖池田勇人がかつてぶちあげたもので、日本全体として経済力が上がることを最高の目的とし、その恩恵を受けられないものの存在を軽視したものである。「貧乏人は麦を食え」とは池田の言った言葉だが、岸田もまた、日本全体が底上げされるなら、格差が拡大するのは許容されるべきだと考えているかのようである。

もう一つは労働の一層の流動化政策である。これには、ジョブ型雇用という名の雇用の流動化と、年功賃金の廃止という賃金制度の抜本的な変革が含まれている。それについての言い分を聞くに、大した理由があるわけではなく、要するに国際的な標準を日本にも持ち込むというに過ぎない。その国際的な標準とは、アメリカの雇用制度をベースにしたもので、日本の雇用慣行とは、あらゆる点で共通性を持たない。日本の雇用慣行にはそれなりに歴史的背景とか経済的な合理性があったわけで、そういったものを一切無視して、外国の制度をそのまま持ち込むことには大きな無理がある。

こういう点を考え合わせると、岸田政権はグローバルな資本にとって優しい資本主義を目指しているのであって、普通の日本人の幸福など念頭にないと思わざるをえない。そういう具合なので、小生としても岸田首相を批判するよう強く動機づけられていると感じた次第だ。





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