愛と苦悩の人瀬戸内寂聴

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昨夜(4月21日)、NHKが「いまを切に生きる 瀬戸内寂聴さん愛と苦悩の99年」と題して、作家でかつ仏教者であった瀬戸内寂聴尼の生き方に焦点をあてた番組を放送していた。生前の尼の大ファンだった小生は、それを感慨深い気持ちで見た。なにしろ、尼が一昨年の秋に亡くなった時には、「瀬戸内寂聴尼の成仏を祝う」と題した小文をしたためて、ブログにアップしたくらいである。小生が尼の死を「成仏」と呼んで祝福したのは、尼が仏教者としてさとりの境地に達していたと思ったからだ。生前すにでさとりを得たものが、二度と死ぬことはないのだが、尼の場合には、己の死を通じて、煩悩に生きるひとを少しでも励ましたいと思い、死を恐れるなと言いたかったのだと思う。

番組のタイトルにもあるとおり、尼は愛と苦悩の人であった。愛と苦悩を別の言葉で言えば、煩悩ということになる。だからその言葉を踏まえれば、尼は生涯煩悩の人だったといえる。先に尼は生前すでにさとりをたというふうに言ったが、さとりを得るとは煩悩から脱することである。だから一方でさとりを得たと言いながら、返す手で煩悩の人と言うのは論理的な破綻ではないかと思われるかもしれないが、それは世間の分別知がそう思わせるのであって、さとりを得た人には、煩悩をも包容する慈悲があるのだ。

出家する前の尼は、煩悩の塊のような人だった。その煩悩のすさまじさは、世間一般の人の理解を超えるようなものだった。それは若いころの尼が、自分に忠実だったからである。生命力の強い尼は、自分の内部から湧き上がってくる欲望を素直に受け入れ、その欲望を解放することで、生きる実感を味わいたいと思い、その思いどおりに振舞った。彼女の小説家としての営みはすべて、自分の欲望を飾り気なく描くことでなりたっている。彼女は飾り気のない人だから、自分の内部から湧き上がる欲望を、ありのままに描いた。彼女は男を見て発情すると、それを抑えようとはしなかった。その欲望を子宮で受け止め、相手を自分の子宮の中に閉じ込めようとしたほどだ。それほど彼女の欲望は強烈だったのである。

そんなわけで出家した後も、尼は人間の欲望に寛容だった。彼女は人生相談の師として慕われたが、その相談の大部分は、煩悩の制御に関するものだった。だが尼は煩悩を制御せよとはいわず、煩悩を受け入れ、自分の欲望に忠実に振舞いなさいと言い続けた。そんな尼の言葉に多くの人々、とりわけ悩める女性たちが励まされてきた。番組はそんな尼が悩める人々を励ます姿を、共感を以て追いかけていた。

尼は多くの男遍歴で知られているが、なかでも有名なのは、奇人変人と呼ばれていた作家井上光晴との不倫の恋である。だいたい尼の恋は不倫の恋なのだが、井上の場合は、かれの妻子がそれを知っていて理解してくれたことに、尼は感謝したそうだ。井上の妻とその娘は、尼を敵とはみなさず、かえって同士として遇したというふうにこの番組からは伝わってくる。人をそんな気持ちにさせるのは、やはり尼の人柄のもたらすところなのだろう。そんな尼に小生は、あらためて「成仏を祝う」と言いたい。

瀬戸内寂聴尼の成仏を祝う https://blog2.hix05.com/2021/11/post-6177.html






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