パリ取り壊しの影響:ドーミエの風刺版画

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ナポレオン三世は1853年にオースマンをセーヌ県知事に任命し、首都の大改造を指示する。オースマンは壮大な計画をたて、パリの大改造を実施する。今日のパリの街の姿は、その結果実現したものである。道路を広げ、大きな広場を作り、整然とした街並みを整備する一方、パリの街区も従来の十二区から二十区へと拡大する。パリ大都市圏の成立である。

オースマンの事業は1853年から60年にかけて実施されるが、パリの改造自体は1852年から着手されていた。「パリ取り壊しの影響(Un effet des démolitions dans Paris)」と題されたこの石版画は、1852年のパリの街区の取り壊しを描いたもの。使用人に荷物を負わせて、旅から帰ってきた男が、自分の家が取り壊されているのを目にして呆然としているところを描く。

この絵は、オースマンが体現するルイ・ナポレオンの権力の絶対主義的無慈悲さを批判したものだろう。

(1852年12月 リトグラフ 26.0×37.5㎝ シャリヴァリ)






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