パンケーキを毒見する:菅義偉の人物像

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2021年公開の映画「パンケーキを毒見する」(河村光庸)は、前首相菅義偉の政治姿勢をテーマにしたドキュメンタリー作品。菅という人間を、褒めたりけなしたり多面的な視点から描いている。結果伝わってくる印象は、菅という人間が、矮小でありながら強大な権力を握ったことのアンバランスの象徴のようなもの、ということである。菅本人は権力を振り回しているつもりが、かえって権力に振り回されているといった、とんちんかんな人間像が、この映画からは浮かび上がってくるのである。

菅本人は、貧乏人から出発して、自分自身の努力で権力の頂点によじ登った立志伝中の人物という評判を喜んでいたようだが、実は地方の旦那階級の家に育ち、したがってもともと横柄な気質の持ち主だったらしい。その横柄さが、菅の政治家としての生き方に大きく作用している。その横柄さはまず、喧嘩っ早さ、博打好き、陰湿な仕返し、といった行動に現れていたが、それが高じて、誰に対しても誠実に接することがなく、人を小ばかにしたあげくに、かえって周囲から小ばかにされ、実際かれをリスペクトするものは一人もいなかったという事態に結実したわけである。

菅が周囲から小ばかにされるのは、おそらく頭の悪さを見抜かれていたからだろう、とこの映画は推測する。その根拠として映画は、国会における野党とのやり取りを取り上げながら、菅がいかに頭の悪い人間であるか、しつこいほど綿密に検証している。その場面を見ると、菅という政治家は、本物の馬鹿者であったか、あるいは馬鹿であることを装ったか、そのいずれかということになり、どちらにしても菅は馬鹿としてのパフォーマンスに徹したということになる。一説に言われるような切れ者というイメージは一切伝わってこない。

菅は、麻生同様自滅型の政治家であるが、かれが自滅したのは、自分自身をよく理解していなかったからだ。かれがよかれと思って打ち出す政策はことごとくかれの首を絞める結果になったにかかわらず、どうしてそうなるのか、自分自身は何もわかっていなかった。だから、最後には追い詰められて、権力の座から引きずり降ろされた時には、なにが起きているのかまったくわからなかっただろうと推測される。

小生などは、菅は日本の憲政史上もっとも劣悪な宰相だったと思っている。だからかれのコロナ政策が失敗して、国民が命の危険を感じるようになった際には、「命を守る行動はただ一つ、それは菅政権を退場させること」を合言葉に、かれを政治の表舞台から退場させるよう、日本人に向かって呼びかけたものだった。とにかく、国民の命を重大な危険にさらしたわけだから、こんなに無能な政治家はないというべきである。

この映画は、そんな菅の実像にせまり、政治家に求められる資質とは何かについて、深く考えさせる作品である。なお、タイトルにある「パンケーキ」とは、酒を飲めない菅が、相手を篭絡する際に用いた小道具だそうだ。パンケーキでもてなされると、それまでアンチ菅だったものが、いとも簡単に懐柔されるのだそうだ。






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