イフメーネフ老夫妻とナターシャ:ドストエフスキー「虐げられた人々」

| コメント(0)
ドストエフスキーの小説「虐げられた人々」のメーンプロットは、イフメーネフ老人一家がワルコフスキー公爵によって迫害され、ついにはウラル地方の片田舎に夜逃げすることを強いられるというものだ。彼らが公爵に迫害される理由は、公爵にとって彼らが不都合な存在になったことだ。特に娘のナターシャが公爵の息子アリョーシャと恋仲になったことが公爵には許せない。公爵は息子に金持の娘をめあわせ、その娘の財産を手に入れようとするのだが、それにはナターシャの存在が邪魔になる。そこでなにかにつけ、ナターシャを貶めるようなことをし、息子の愛に歯止めをかけようとするのだが、なかなかうまくいかない。その挙句、娘を含め、一家全体を破滅に追いやろうと考える。そういう腹黒い打算が働いて、イフメーネフ一家は没落させられるのである。

なんとも救いのない話である。要するにロシアでは、悪が栄え善は亡びるようにできている、そういうドストエフスキーの冷笑的な視線がこの小説を支配しているのである。そうした意味ではこれは、典型的な悪漢小説である。その悪漢の活躍が、ワーニャという青年の視線から描かれるのだが、ワーニャはイフメーネフに育てられた恩があるにもかかわらず、イフメーネフのために何もしてあげられない。ただ事態の成り行きを静観するのみなのである。

イフメーネフ老人は、自分がなぜワルコフスキーから迫害されるのか、その理由がわからない。イフメーネフ老人とワルコフスキー公爵との関係は、小説の始まったころの時点では良好だった。イフメーネフはワルコフスキーのために、その領地の経営をうまくこなしていたのであるし、人間同士としての付き合いにもとくに問題はなかった。だが、ワルコフスキーが息子のアリョーシャをイフメーネフの家に預けたことがきっかけで、アリョーシャとナターシャが愛し合うようになると、突然態度を激変させる。ワルコフスキーは、ナターシャについてのたちの悪い噂をまき散らしたり、イフメーネフ老人を横領の容疑で訴えたりするのだ。

イフメーネフ老人にとって一番こたえたのは、ワルコフスキーのあくどい仕打ちにかかわらず、娘のナターシャがアリョーシャを深く愛し、家を捨ててアリョーシャのもとに走ってしまったことだ。そんな娘の行動をイフメーネフ老人は、親に対する侮辱と受け止め、なかば勘当してしまうのである。ナターシャは結局老人のもとに戻ってくるが、それはアリョーシャに捨てられたからだ。捨てられて行き場を失った若い女が、両親に再び保護を求めたわけだ。だが両親はすでに破産していて、まともな生活ができる状態ではない。そこで粗末な職をもとめて、ウラルの田舎町へと夜逃げ同然に移っていくのである。

そんなわけで、イフメーネフの立場からすれば、この小説は不条理きわまりない悪行の犠牲になった気の毒な人々の話ということになる。逆にワルコフスキーの立場からは、自分の力を謳歌する物語といえよう。語り手自身は、イフメーネフ側の人物なので、イフメーネフに同情し、ワルコフスキーを呪詛したりするが、しかしなにか有用なことをするだけの能力があるわけでもないので、単に第三者として傍観した事柄を読者に報告しているというに過ぎない。

イフメーネフ老人は、語り手の目からは紳士的な立派な人物というふうに描かれてはいるが、しかし利口な人間としては描かれてはいない。かれはただの田舎者であり、世の中の事情には乏しい知識しかもっていない。だから、ワルコフスキーからの攻撃を前にして、ほとんど無防備である。ワルコフスキーのほうも、そんなに利口な人間としては描かれてはいないので、そんな小物に簡単にねじ伏せられてしまう老人は、多少滑稽でないわけでもない。そんな老人に対して、語り手のワーニャも、なにか有用なことをしてやれるだけの才覚を持っていない。そのため合理的な反撃を加えることができず、ワルコフスキーの悪行を歯ぎしりしながら傍観するばかりなのである。

イフメーネフ老人側の人物としてもっとも陰影に富んでいるのはナターシャである。彼女は両親との絶縁を覚悟してまでアリョーシャとの愛を優先させたのであるが、その肝心のアリョーシャが、いまひとつ自分に対して誠実でない。その挙句、他の女を愛するあまり、ナターシャを捨ててしまうのである。そこには父親であるワルコフスキー公爵の姦計が働いているのであるが、愛する女性を最後まで守ることができなかったことに違いはない。ナターシャはそんな情ない男に捨てられてしまうのだ。そんなナターシャを、語り手のワーニャは愛していたというふうに匂わせているが、この二人の愛が小説の中で成就することはない。

以上、イフメーネフ側にたてば、この小説は救いのない物語ということになる。世の中は強いものと弱い者とで構成され、強い者が弱い者を虐げるのは自然の法則に合致しているのだ、というような冷めた視線を強く感じさせる小説である。






コメントする

アーカイブ