核抑止論正当化の次は核拡散の容認

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広島で行われた被爆78年目を記念した式典で、広島市長が、先のG7で確認された「核抑止有効論」を批判して、「世界中の指導者は核抑止論は破綻していることを直視すべきだ」といったそうだ。そのうえで、核廃絶を強く訴えたという。

たしかに、G7で核抑止論の有効性が確認されたことは、核の廃絶という理念からかけ離れたものであり、むしろ核所有国による核保有にお墨付きを与えたようなものだ。核所有の核保有にお墨付きを与えれば、非保有国の核保有を批判する根拠はなくなる。

核拡散防止条約は、そもそも核の保有国の既得権を前提としながら、その保有国の拡散を阻止することをねらったものだ。いろいろと理屈をこねて、合理化する試みがなされてはいるが、基本的には、核保有国の既得権を守りながら、ほかの国にはその権利を否定するもので、不平等条約であることは明白だ。その不平等条約を、核を持たない国が是認してきたのは、核を絶対に使わないという約束が一定の力をもっていたからだ。

だが、先日G7で確認された核抑止有効論は、核保有国が今後とも核を保有し続け、場合によっては、核戦力の行使を認めようというものだった。つまり、核保有国に対して、無条件に近い核の使用権を認めたといってよい。それでは、核拡散条約の理念は、ただの念仏ということになってしまうだろう。問題なのは、岸田政権が、今回のG7の議長国として、核抑止論の確認にむけて汗をかいたという事実だ。

核抑止が正当化され、核保有国の核兵器使用権が認められれば、核を持たない国に対して、核の保有を禁止する法的・道義的理由はない。核抑止有効論は、むしろ核拡散に道を開くような動きといってよい。核抑止論を正当化すれば、論理必然的に、核拡散の容認につがなる。現行の核保有国だけに、核の保有権を認める理由はどこにもないからである。その結果は、核軍拡ということになろう。岸田政権の本音は、日本の核武装にむかって地ならしをすることにあったのではないか。そんなふうに勘繰りたくもなる。





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