近藤和彦「民のモラル」を読む

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近藤和彦はイギリス史が専門だそうだ。民衆の中に根付いている文化的な基層のようなものを重視し、その基層の動揺が歴史を動かしていくと考えているようである。「民のモラル」と題した本(ちくま学芸文庫)は、副題に「ホーガースと18世紀のイギリス」とあるとおり、18世紀のイギリス社会を、民衆の中に根付いている文化的な基層の面からときあかしている。かれがホーガースに着目したのは、この画家が同時代のイギリスの民衆の文化的なバックボーン、いうなればモラルを体現していたと考えるからだろう。

イギリスの18世紀という時代は、17世紀における宗教革命などの変動を経て、一応国民的な統合が達成され、それをバネに19世紀以降の爆発的な社会革命を用意した時代である。つまり過渡的な性格を強くもった時代といってよい。過渡的ということは、古い時代の残渣が、新たな社会的な力とせめぎあっていたということだ。新たな社会的な力とは、要するに産業革命への胎動と資本主義システムの全面的な普及ということになるが、それに対して一般民衆は、伝統的で因習的な生き方をひきずっていた。この時代に頻発する民衆運動は、新たな社会的な力と一般民衆の因習的な生き方とが衝突した現象ということができる。

18世紀のイギリスでは、トーリーとホイッグの二大政党制の基礎が築かれた。トーリーは保守的傾向を代表し、ホイッグは進歩的な傾向を代表するというふうに整理されるのがふつうだが、そんなに単純なものではない。ただおおざっぱな傾向として言えるのは、トーリーが王権主義的でかつイギリス国教会を支持していたのに対して、ホイッグはピューリタン的な気風に理解を示し、非国教徒にも寛容だったということだ。その対立を前にして、民衆が全体としてどちらの側についたとは言い切れない。ただ、民衆の大きな部分が国教徒となり、トーリーと親和的な傾向を示したとは言えそうだ。

近藤によれば、18世紀のイギリスは、中央集権的なシステムには徹しておらず、地方の主体性と、それにともなう自治意識が強かった時代だ。地方の権力の担い手は、基本的には中央の権力とつながっており、したがって中央の権力がトーリーとホイッグとの間で交代するたびに、地方の権力も動揺したが、基本的には、地方独自に形成された風習というものが大きな力をもっていた。この時代に繰り返し起きた民衆運動は、侵害された風習を回復するという名目で起きたのである。18世紀の半ば以降には、日本でも数多くの民衆運動がおきたが、日本の場合には目前の危機に対する反応という性格が強いのに対して、イギリスの民衆運動は、自治の回復という意味を担っていたということらしい。

近藤は、この時代にイギリス各地で起きた民衆運動を分析し、それらのほとんどが、何らかの形で侵害された伝統的な権利の回復をめざしていたと結論付けている。イギリスは地方自治の祖国のように言われているが、いわれのないことではない。18世紀のイギリスの場合、民衆運動のほとんどは、伝統的な権利の回復という点で、保守的な性格を持っていたが、それが民衆の自治権を主張した限りにおいて、民主的な性格を強く帯びていたというわけである。

近藤がホーガースをことさら取り上げる理由は、ホーガースがこの時代のイギリスの民衆のメンタリティを代表していたと考えるからだ。ホーガースは版画を通じて、同時代の民衆の抱いていた考えを可視化したといえる。それは基本的には、伝統的な因習を重視する立場にたち、それへの侵害に対して、抗議するという姿勢をもつ。しかもかれらの主張を、ストレートに暴力的にぶつけるのではなく、笑いにまぎれさせて、精神的なものを強く感じさせるようなパフォーマンスを演じた。

近藤がこの本の中で言及しているホーガースの作品は、「ヒューディブラス」とか「勤勉と怠惰」といったシリーズものだが、いずれも当時のイギリス庶民のメンタリティを表現したものである。それを見るものは、当時のイギリスの民衆がどんな考えを抱いていたか、視覚的な形で理解できるのである。そんなわけで、ホーガースは或る種のクロニクル作者として、同時代の民衆運動の精神的な背景を描き出したといえる。






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