ステパン先生とワルワーラ夫人:ドストエフスキー「悪霊」を読む

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小説「悪霊」のメーン・テーマは、ロシアに生まれつつあった革命組織の運動を描くことであるが、それに入る前に、ステパン先生とワルワーラ夫人との関係を描いている。これは、この小説の二人の主人公ニコライ・スタヴローギンとピョートル・ヴェルホーヴェヴェンスキーが、それぞれワルワーラ夫人とステパン先生の息子であることを考えれば、不自然なことではない。それに、語り手のアントン・ラヴレンチェヴィッチがステパン先生と特別深い関係にあり、したがってワルワーラ夫人とも密接な関係にあったことを考えれば、ステパン先生とワルワーラ夫人をめぐることから筆を起こすというのは、ある意味必然のことなのである。というのも、ステパン先生は、生来リベラルな傾向があって、ニコライ・スタヴローギンにリベラルな教育を施し、また、町の若者たちにも思想的な影響を及ぼしていた。だから、ステパン先生には、この小説のメーン・テーマである革命組織の運動に一定のかかわりを指摘することができるのである。それゆえ、ステパン先生の登場から小説を始めるのは、理にかなっている。

この長編小説は三部構成をとっているのだが、第一部は、ステパン先生とワルワーラ夫人を中心に展開していく。ニコライとピョートル、また五人組をはじめとした他の主要キャラクターも比較的早い段階で登場するのだが、第一部のメーン・キャラクターはステパン先生とワルワーラ夫人であり続ける。それゆえ、この小説の大事な部分をこの二人が担っているということになる。この二人は、メーン・テーマである革命運動の関係者という位置づけにとどまらず、かれらだけでも物語が成立するような、独特の関係性を築いているのである。それを簡単に特徴づけるわけにはいかないが、おそらく異論なく言えることは、かれらが古いロシアを代表しているということではないか。その古いロシアを象徴するかのように、ステパン先生は小説の最後を自分の死で飾るのであり、また、ワルワーラ夫人は、いままで真剣に面倒を見たことのない息子ニコライに未来を託そうと思うのである。

ステパン先生とワルワーラ夫人の関係は、ステパン先生がワルワーラ夫人の庇護を受けているというものである。ステパン先生は、ワルワーラ夫人の領地の隣に自分の小さな領地を持っていたという事情もあって、ワルワーラ夫人の息子ニコライの家庭教師役をつとめたのがきっかけで、ワルワーラ夫人の庇護下に入ることとなった。ステパン先生はリベラルな思想の持ち主で、ニコライもその思想に感化されたようである。また、ドロズドフ家の娘リザヴェータもステパン先生の教えを受けた。ステパン先生はそのほか、町に住んでいる青年たちにも精神的な影響力を発揮していた。こんな風にいうと、ステパン先生がロシアの新しい傾向を代表しているかのように聞こえるかもしれないが、ステパン先生のリベラリズムは根が浅いものであって、決して新しいロシアを代表したわけではない。その証拠に、ステパン先生は、リベラルな思想を実践しようとしているふうには見えない。かれは、ワルワーラ夫人の居候としてふるまい続けている。男が居候としてふるまい、その男を女が支配するというのは、これはいかにも古いロシアの姿なのである。

ワルワーラ夫人は、支配欲の強い女性であり、接する相手に対して威圧的に振舞う傾向がある。そんな性格だから、ステパン先生に対して庇護者然として振舞う。ステパン先生を、自分の思い通りにすることができると考えている。その証拠に、ワルワーラ夫人は召使として使っていたダーリアという女性とステパン先生を結婚させようとする。これはなかば強制的な命令だから、ダーリアが逆らえないのは無論、ステパン先生にも逆らえない。ところが、ステパン先生が本当に結婚したいと考えている相手はワルワーラ夫人なのである。ステパン先生は、いちどそんな自分の思いを、夫人に向かってほのめかしたことがある。そのさいに夫人が言った言葉は、そんなことは決してゆるしませんからね、というものだった。その言葉が頭にこびりついて、ステパン先生は夫人への思いを口に出して言えないのであった。

ワルワーラ夫人は、ステパン先生とは違って、リベラルな考えを持つことはない。彼女はロシアの伝統的な価値観を体現した人物なのだ。だから、新しく知事として赴任してきたランプケの夫人ユリアがリベラルなイメージを振りまくのをみて不快に感じる。そのユリアと相性がいいのはステパン先生で、かれはユリア夫人のサロンに集まったリベラルな青年たちとともに、ユリア夫人に愛嬌を振りまくのである。そんなこともあって、ステパン先生とワルワーラ夫人の関係は不安定になっていく。

ところで、ステパン先生の本名は、ステパン・トロフィーモヴィッチ・ヴェルホーヴェンスキーという。それがステパン先生と呼ばれるようになったのは、一つにはニコライらの家庭教師だということもあるが、それ以上に、ステパン先生が学者として自分を押し出していたためである。だがステパン先生の学者としての能力は大したものではなかった。だからかれが先生と呼ばれるのは、なかば嘲笑的な献辞だったのである。もっとも先生が学者として無能なのは、そんなに恥ずかしいことではない。ロシアでは、学者は無能だと決まっている、と語り手は言って、先生に花を持たせるのである。

ともあれ、ステパン先生とワルワーラ夫人に大きな危機がせまる。それは、ワルワーラ夫人が用意したダーリアとの結婚話に先生が難色をしめしたことから起きた。先生にはこの結婚は意に染まず、その不満を息子のピョートルに愚痴った。その愚痴をピョートルが夫人に漏らしたところ、夫人は激怒するのである。その時ステパン先生は、過去に聞かされた「わたしは決して許しませんからね」という言葉を、もう一度聞かされるのである。

先生と夫人をめぐるエピソードはそれこそ星の数ほどあるし、小説の途中から彼らの存在感は極めて小さくなるので、ここで一足飛びに、小説の最後の部分に移ることにしたい。この小説の最後は、ステパン先生の死が飾るのである。小説の最後の部分で、ステパン先生は生涯最後の旅に出る。というのも、その旅の果てにかれは死んでしまうのである。かれが旅に出た理由は、ワルワーラ夫人の支配から自由になりたいというものだった。かれはいまだに夫人を愛していたが、しかし、夫人の支配には我慢できなくなった。これ以上奴隷的に生きたいとは思わなかったのだ。その旅の途中、先生は聖書売りの女ソフィアと意気投合し、結婚しようとまで言うようになる。だが、結婚する前に彼は死んでしまうのだ。その彼の死のベッドにワルワーラ夫人が駆け付ける。夫人を見た先生は感極まって叫ぶ。わたしはあなたを愛しています。この二十年間、あなたを愛し続けてきました。その言葉を聞かされた夫人は絶句する。夫人もまた、かれを愛していたのだ。

こんなわけで、この小説にはステパン先生とワルワーラ夫人との不幸な愛をテーマとしたサブプロットが仕組まれているのである。このサブプロットがあるために、小説に厚みと深さが生まれるのである。






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