ターナーの風景画

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J.M.W.ターナー(J.M.W.Turner 1775-1851)は、イギリスの風景画家の最高峰の作家であるとともに、イギリスの美術史上もっとも偉大な画家といってよい。その名声はイギリスにとどまらず、世界中になりひびいている。ターナーはイギリスが初めて生んだ、真に世界的な巨匠といえるのではないか。かれは自分の作品を死後総て国家に寄贈したので、いまでもほぼ完全なかたちで国有財産となっている。

ターナーは生涯を通じて風絵画を描き続けた。その点は、同時代のライバル,コンスタブルが、生活の必要上肖像画を多く手掛けたのとは異なっている。風景画では生活はできないのだが、かれはなんとか生活の工面をたてながら、風景画を描き続けた。しかも、コンスタブルが故郷サフォークをはじめ、イギリス国内の風景にこだわったのに対して、ターナーは積極的に海外に出かけ、イタリアなどの外国の風景も描いた。

ターナーの画風は、幾度も変換した。その変換は五回とも七回ともいわれている。キャリアの始めごろには写実的な風景画を描いたが、1819年のイタリア旅行以後は、形にこだわらず、光あふれる色彩感を重んじるようになった。晩年の作品は、後の印象派を思わせるような、光を重視した画風である。批評家のなかには、ドゥル-ズのように、抽象画と評するものもいる。

「国会議事堂の炎上(The Burning of the Houses of Lords and Commons, 16 October 1834)」と題されるこの絵は、1834年10月16日における国会議事堂の炎上をモチーフにしたものである。ターナーは、この火災に大きなショックをうけたとみえ、幾枚もスケッチし、数点の油彩画や水彩画を残した。

この作品は、火炎のすさまじい勢いを、あざやかな色彩と光によって表現している。光や色彩を重んじる画風は、以後晩年におけるターナーの基本的な画風となった。









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