いわゆる「セキュリティクリアランス」制度に関する法律が4月10日成立した。これは経済安全保障に関する重要情報の取り扱いを国が認めたものに限定するという内容のものである。この法案が有する問題点は、雑誌「世界」の最新号(2024年6月号)に掲載された「『セキュリティクリアランス』制度の何が問題か」という小文(高山佳奈子著)が指摘していた。今回成立した法律は、その指摘通りに非常に問題の多いものと思われる。
高山の指摘する問題は多岐にわたるが、もっとも根本的なものは、この制度が国際標準を企図するといいながら、その要件を満たしていないということだ。国際標準は、国の安全と個人の人権を量りにかけながら慎重な運用を目指しているが、この法律は、国の安全を至上命題として、個人の人権を非常に軽視している。つまりこの法律は、個人の人権を無視してまでも、国の情報管理を徹底するもので、非常に片手落ちで危険な内容を含んでいるというのである。
高山はこの法律を、個人情報の管理に特化したものだといって批判する。だいたい、国が守る必要のある事項については、外為法や秘密保護法はじめ各種の規制法で厳しく統制されている。先般問題となった大河原化工機事件は、外為法の運用をめぐっておきたものだ。大河原化工機事件は、権力の暴走を感じさせるものであったが、今回のセキュリティクリアランス法は、権力の横暴をさらに広範に許すことになる可能性が高い。
今回の法成立を取り上げた新聞報道も指摘していることだが、何がセキュリティを脅かすのか、その具体的な要件がまったく示されておらず、行政の恣意がまかりとおる余地が多い。そんな法律は、国際標準から著しく外れていると言わざるをえない。
「本来めざされるべきなのは、すでに海外からも問題の指摘がされている人権保障の欠如を克服し、規制と自由な活動領域との限界づけを予測可能なものとすることであろう」と高山は言っている。ところが「今回の新法はこうした人権上の諸問題に意図的に目をつぶり、偽りの『国際標準』を掲げるように見える」。高山はそうもいって、その成り行きを懸念していたようだが、じっさいその通りになってしまった。
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