樋口一葉の習作小説その二 暁月夜ほか

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「大つごもり」に先立つ樋口一葉の習作時代の小説は十一編である。「別れ霜」がやや長い(それでも新聞連載15回分)のを除けば短い作品ばかりで、筋書きは単純だ。短編小説であるから単純な筋書きで差支えはないのだが、一葉は妙に芝居がかった描き方をするものだから、器と中身が調和していないという印象を与える。ほとんどの作品は若い男女の恋、それも悲恋というべきものをテーマにしている。若い男女の恋愛感情は、「たけくらべ」の前半部分のテーマでもあるから、一葉はまず、男女の恋愛を描くことから作家活動を始めたといってよいだろう。それが半井桃水の指導によるものなのか、それとも一葉の本来的な気質に根差すものなのか、なんともいえないが、おそらく若い頃の一葉には、男女の恋愛への強い関心が潜んでいたのであろう。

その一葉の習作時代の作品のなかから、ここでは「暁月夜」、「雪の日」、「琴の音」を取り上げたい。「暁月夜」は、「うもれ木」に続き「都之花」に掲載された。「都之花」は、山田美妙や二葉亭四迷のかかわった文芸雑誌で、一葉は萩の舎の先輩田辺花圃の紹介で寄稿した。「うもれ木」は一葉に初めてまとまった原稿料をもたらした(11円程度だが)。

「暁月夜」のテーマは、若い男の報われぬ愛である。若い女に一目ぼれした男が、その女になんとか近づきたいとの思いで、その女の家の庭男として住みつくようになる。女には腹違いながら弟がおり、その弟が女と非常に仲が良いので、男はその弟を手なづけて、恋文を届けさせたりする。しかし一向に反応がない。そのはずで、女は男の恋文を、封も切らずに手箱に投げ入れたままなのである。そのうち女は、鎌倉の別荘に一人住まいすることとなる。びっくりした男が女の真意をただすと、女は自分の身の上話を始める。女自身というより、彼女の母親の話なのである。母親は自分を生んだ後いなくなってしまった。自分は父親の家で育てられたが、いつも肩身の狭い思いをしている。なかでも一番気にかかるのは、自分もまた母親と同じ運命をたどるのではないかということだ。だから、結婚する意思はない。あなたはわたしになどかかずらっていないで、勉学に励みなさい、といって男を諭すのである。

なんとも奇妙な設定である。一葉の描く男女は、だいたいが悲恋の犠牲者なのだが、この小説の中の男女は、恋愛どころか人間的な関係性がそもそも成立していないのである。女はすでに現世を超越した仙女のようなものとして設定されている。仙女を相手にしては、現世的な恋が成立するはずもない。一葉はなぜこんな無理な設定で小説を書いたのか。彼女の作家としての未熟さの結果か。

「雪の日」は、400字詰め原稿用紙にして十枚にも満たない短編だが、その割にはいろいろなことが詰め込まれている。一人の女の回想という形をとっており、その女が幼いころに教えを受けた学校の教師に恋心を抱き、周囲の噂を恐れた叔母(育ての恩人)の忠告を無視して、自分の恋を優先し、あまつさえその教師と駆け落ちしたというような内容である。その教師との結婚がかならずしも幸福なものではなかったことは、叔母を見捨てたことに深い悔恨を抱いていることから伝わってくる。一応男女の恋を描きながら、その恋が中途半端な位置づけのものに終わっている。そんなわけでこの作品も、かなりな未熟さを感じさせる。その理由は、短い行間に、色々なものをごたごたと詰め込んで、単純な筋書きの割には、情報過多に陥っている。要するにチグハグサを感じさせるのだ。

「琴の音」は、かなり風変わりな構成の小説である。二部構成になっていて、前半は余にすねて盗賊になった14歳の少年の生い立ちが述べられ、後半は、18歳の若い女が琴を弾く場面が描かれる。そしてその場に居合わせた少年が、心をいれかえて更生する決意をするというような内容である。14歳の少年がなぜ、18歳の若い女が弾く琴の音に心を惹かれたか。まあ、ありえないことではないが、未成年者が日頃無縁な琴の音を聞いたことで、心を入れ替えたというのは、かなり無理な設定だろう。しかし、その少年が世をすねるにいたった経緯はけっこう自然に描かれている。その点でこの小説は、一葉全盛期の小説における社会的な視線の優位を多少は感じさせるものにはなっている。そういう意味で、過渡的な作品と位置付けることができよう。

以上、習作時代における一葉の作風は、若い男女の恋愛をテーマとしながら、その恋愛に芝居じみた効果を持たせようとして、かなり無理な設定をしているといえよう。そのため小説としてのおさまりが悪い。傑作といえるものは見当たらない。そんな一葉が、未熟な作品を新聞・雑誌に掲載する機会に恵まれたのは、桃水とか花圃といった身近な人の助力によるところが大きい。その点では一葉は、ラッキーだったといえる。未熟な作品を発表する機会を得たことで、一葉は自分の力量について反省することができた。その反省から、作家としての自分の使命は、男女関係をダラダラと描くことではなく、下層社会に生きる人への共感とか、女性の立場の弱さに対する自分自身の怒りを表現することだと気づくようになったのではないか。






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