青頭巾(二):雨月物語

| コメント(0)
 快庵この物がたりを聞せ給ふて、世には不可思議の事もあるものかな、凡そ人とうまれて、佛菩薩の教の廣大なるをもしらず、愚なるまゝ、慳<かだま>しきまゝに世を終るものは、其の愛慾邪念の業障に攬れて、或は故の形をあらはして恚を報ひ、或は鬼となり蟒<みづち>となりて祟りをなすためし、徃古より今にいたるまで算ふるに尽しがたし。又人活きながらにして鬼に化するもあり。楚王の宮人は蛇となり、王含が母は夜刄となり、呉生が妻は蛾となる。又いにしへある僧卑しき家に旅寢せしに、其の夜雨風はげしく、燈さへなきわびしさにいも寢られぬを、夜ふけて羊の鳴くこゑの聞えけるが、頃刻<しばらく>して僧のねふりをうかゞひてしきりに嗅ぐものあり。僧異しと見て、枕におきたる禪杖をもてつよく撃ちければ、大きに叫んでそこにたをる。この音に主の嫗なるもの燈を照し來るに見れば、若き女の打たをれてぞありける。嫗泣々命を乞ふ。いかゞせん。捨てて其の家を出でしが、其のち又たよりにつきて其の里を過ぎしに、田中に人多く集ひてものを見る。僧も立ちよりて何なるぞと尋ねしに、里人いふ、鬼に化したる女を捉へて、今土にうづむなりとかたりしとなり。

 されどこれらは皆女子にて、男たるものゝかゝるためしを聞かず。凡そ女の性の慳しきには、さる淺ましき鬼にも化するなり。又男子にも隨の煬帝の臣家に麻叔謀といふもの、小兒の肉を嗜好みて、潛かに民の小兒をぬすみ、これを蒸して喫ひしもあなれど、是は淺ましき夷心にて、主のかたり給ふとは異なり。

 さるにてもかの僧の鬼になりつるこそ、過去の因縁にてぞあらめ。そも平生の行徳のかしこかりしは、佛につかふる事に志誠を尽せしなれば、其の童兒をやしなはざらましかば、あはれよき法師なるべきものを、一たび愛慾の迷路に入りて、無明の業火の熾<さかん>なるより鬼と化したるも、ひとへに直くたくましき性のなす所なるぞかし。心放せば妖魔となり、収むる則<とき>は仏果を得るとは、此の法師がためしなりける。老衲<らうのう>もしこの鬼を教化して本源の心にかへらしめなば、こよひの饗の報ひともなりなんかしと、たふときこゝろぎしを發し給ふ。莊主頭を疊に摺りて、御僧この事をなし給はゞ、此の國の人は淨土にうまれ出たるがごとしと、涙を流してよろこびけり。山里のやどり貝鐘も聞えず、廿日あまりの月も出でて、古戸の間に洩りたるに、夜の深きをもしりて、いざ休ませ給へとておのれも臥戸に入りぬ。


(現代語訳)
快庵はこの話を聞いて、「世には不思議なこともあるものじゃな。およそ人と生まれて、仏や菩薩の広大な教えも知らず、愚かなまま、ねじけたままに生涯を終えるものが、愛欲邪念の業障に引きずられて、或は生前の姿をあらわして恨みを晴らし、或は鬼となりミズチとなって祟りをなすためしは、昔から今にいたるまで数えられないほどじゃ。また人が生きながらにして鬼と化すこともある。楚王の宮人は蛇となり、王含の母は夜刄となり、呉生の妻は蛾となった。また、昔ある僧が卑しいものの家に一夜を過ごしたとき、夜になって雨風烈しく、灯りもないまま寝られないでいたところ、夜が更けて羊の鳴き声が聞こえた。しばらくすると僧の寝ているところを伺ってしきりに匂いをかぐので、怪しいと思った僧が、枕もとに置いていた禅杖で強く打ったところが、大きな叫び声をあげてそこに倒れた。この音に驚いた老女が灯りを照らしながら駆けつけてみるに、若い女が打たれて倒れている。老女は泣く泣くその女の命乞いをした。しょうがないことじゃ。僧はそのまま捨ておいて家を出たが、その後ついでにその里を通ったところ、田んぼに人が多く集まってなにかを見ている。僧も立ち寄り、なんじゃと訪ねたところ、里人が言うには、鬼に化した女を捕らえ、今土に埋めているところです、と言う。

「だがこれらはみな女のこととて、男にはこんなためしは聞かない。およそ性がねじけた女は、こんな浅ましい鬼に化すものじゃ。男にも、隨の煬帝の臣下麻叔謀というものは、子どもの肉を好み、ひそかに小児を盗んできては、これを蒸し焼きにして食った例もあるが、これは浅ましい夷狄の仕業であって、おぬしの話とは違っておる。

「それにしてもその僧が鬼になったのは、前世の因果じゃろう。その僧が平生徳が高かったのも、仏に真心込めて仕えていたからであり、その童を引き取りさえせねば、よき僧であったものを、一旦愛欲の迷路に惑い、無明の業火に包まれて鬼となったのじゃろう。これもひとえに一途な性格のなすところ。心が油断すれば妖魔となり、心を引き締めれば仏果を得るとは、この僧のことを言うのじゃ。わしがもしもこの鬼を教化して本来の姿に戻してやれば、今宵のもてなしの報いともなるじゃろう」、そう言って、尊い志を起こされたのだった。主人は頭を畳にすりつけて、「お坊様がそうしてくだされば、この国のものは浄土に生まれ変わったと思うでしょう」と言いながら、涙を流して喜んだのだった。山里のこととて貝や鐘の音も聞こえず、二十日目ばかりの月も出て、古戸の間から漏れて見えたが、夜が深いのを案じて、さあお休みなさいと言って、自分も寝床に入ったのだった。


(解説)
一夜の宿を借りた快庵禅師は、宿の主から寺の僧が鬼と化した事情を聞かされ、宿を借りた礼にその僧を教化して、里人の不安を取り除くことを決心する。この際の快庵禅師の発言が面白い。こうした例は他にもあるといって、その例を持ち出すのだが、それらがすべて女にまつわる話か、でなければ夷狄のことだとしている点だ。まともな日本人の男子ならば考えられないことだと言うわけである。

これは、女性に対する秋成の偏見を物語るものだとの指摘があるが、女性に対する偏見は別に秋成に特有のことではなく、この時代の日本人に共通したものだったに違いない。

なお快庵禅師の口を借りて言及している麻叔謀のことは、明代の故事逸話伝説集「五雑組」からの引用である。このなかで、秦の麻叔謀が小児の肉を蒸し焼きにして食う話が出てくる。






コメントする

アーカイブ