権威主義という罠

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雑誌「世界」の最近号(2019年4月号)は、「権威主義という罠」と題する特集を組んでいて、現在世界中に蔓延している権威主義的な政治について多面的な分析を披露している。それを読んで感じたことを、ここにメモとして書いておきたい。

権威主義についての定義は色々あると思うが、この特集ではそれを厳密には定義してはいない。普通権威主義といえば、独裁を含めた右翼的で反動的な政治をさしていうが、左翼的な権威主義も含めている。たとえば、社会主義を標榜している中国にも権威主義が見られるといった具合である。またいわゆる左派ポピュリズムも権威主義に傾く傾向が強いという。

今日権威主義の問題がクリティカルになっているのは、アメリカにさえその傾向が見られるからだろう。トランプのポピュリズムを権威主義といってよいのかどうか、議論があるところだろうが、理性ではなく情動に働きかけるところは権威主義と共通している。情動と利益を通じて人々を動かすところに権威主義の特徴がある。権威主義というと、権威で人々を誘導するという具合に思われがちだが、権威だけでは人は動かないものだ。

今日の権威主義の蔓延をもたらした最大の要因は、どうやらグローバライゼーションにあるようである。グローバライゼーションは資本主義の基本的な傾向であり、放っておくと無制約に進行する。資本はもともと国境を無視して、自分の利益を貫徹する強い衝動をもっている。その衝動が、国境を超えて人々への搾取を強める。これが極端化すると、一握りの国際資本が世界中の人類を搾取するという構図が出来上がる。世界が国際資本と国際プロレタリアートとに、単純に二分化されるわけだ。これを資本主義の究極の姿だとすれば、それはマルクスの予言したとおりのことが実現することを意味する。

こういう動きに対する反動が権威主義の世界的蔓延をもたらしているように思える。それはグローバライゼーションの否定としてはナショナリズムの形をとり、また、階級対立を緩和させようとする衝動としては強いリーダーの下での国民の一体化への希求という形をとる。要するに、資本主義の動きを制約して、国境の内部でものごとの次第を解決しようとする動きだ。その意味では反動的な動きと言えるが、こと国家という枠組みの中では、進歩的な面を併せ持つこともできる。進歩的とは、民主主義と親和的という意味だ。実際今日世界じゅうに蔓延している権威主義は、独裁と結びついたものもあるが、国民の多数の支持を取り付け、その限りで民主的な衣をまとっているものが多いのである。





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