令和を解読する

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新元号が令和に決まった。某官房長官が例の仏頂面で令和という文字を書いた紙を掲げた姿がテレビに写されたのを、小生は実況中継の画面で見たのだった。その際に官房長官が、出典は万葉集にあると手短にコメントしたので、小生は聊か思うところがあった。今回の改元にあたっては、従来のような漢学者ばかりでなく、日本史の学者も加わっているという噂だったので、日本語の文献から出展されるのではないかという予測をしていたのだったが、その予測があたったということだ。

出典は万葉集巻五、「太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首」の序文である。この宴は梅花の宴として知られているが、それに漢文の序文が付されている。それは次のように書きだされる。

「天平二年正月の十三日、帥の老の宅に萃(つど)ひて、宴会を申ぶ。時に初春の令月、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫(くゆ)らす」

この序文の中から、令月の令と風和らぐの和と組み合わせて令和としたものだ。令月の初春に気持ちやわらぐ風が吹くような、そんな穏やかな世であってほしいという願いを込めたものか。従来の漢文からの出典という伝統にあっては、二つの漢字が近接した熟語からとられるのが例であって、そのひそみに倣えば、むしろ淑和のほうが相応しいのであるが、そこは出典を和籍に求めたこととあいまち、従来の伝統に縛られず、和風を尊重しようという、今の保守政権の思いから出たものだと思う。

その辺の保守政権の思いを、某総理大臣が講釈するという触れ込みだったが、小生は某総理大臣の言葉に関心を持つことはないので、官房長官が令和の文字を掲げたところを見ただけで、テレビのスイッチを切ったところだ。

なお、小生のサイト「万葉集を読む」に、この梅花の宴の様子を解釈した記事を載せているところ(大伴旅人:梅花の宴(万葉集を読む))、官房長官の画面が出た直後から、アクセスが集中し、サーバーがダウンする事態となった。記事にアクセスして読めなかった人たちには大変迷惑をかけました。





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