元の枝へ:徳田秋声の短編小説その二

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徳田秋声のやや長目の短編小説「元の枝へ」は、いわゆる山田順子ものの嚆矢となる作品である。秋声が妻のはまを病気で失ったのは1926年1月のことであったが、山田順子は弔意を示すために秋声のもとを訪れ、そのまま家に居ついてしまった。秋声はそんな順子との同棲生活をさっそく小説の題材にしたわけである。順子との同棲自体がスキャンダラスなことであったが、それを小説のネタに使ったことで、スキャンダルはいっそうグロテスクな様相を呈した。なにせ妻が死んですぐに別の女を家に入れ、その女との間の痴情をあからさまに描いたのであるから、いくら日本が私小説天国とはいえ、あまりにもえげつないと思う人が多かったのである。

山田順子とは、妻の死の二年前に会っていた。その折に多少色心が動いたのかもしれない。彼女はたいそう美人だったそうだから、秋声が色心を動かすのも無理はない。だが、すでに五十過ぎの老人が、まだ二十代の順子を愛人にするというのは、やはり秋声が生来好色だったからだろう。秋声の主要な作品は、ほとんどが女の生き様をテーマにしており、秋声の女への異常なこだわりを感じさせる。そのこだわりはかれの好色から来ていると見てもよいようである。

秋声はどういうつもりでこのような小説を書いたのか。やはり何らかの意図があったと見田ほうがよいのではないか。この小説を読む限り、二つの意図を感じさせる。一つは世間の非難に対する秋声自身の弁明である。秋声は自分と順子をめぐって世間が騒ぎ立てるゴシップにほとほとうんざりし、なんらかの形で弁明する必要を感じたのではないか。この小説が発表されたのは、妻が死んだ年の9月であり、秋声の女をめぐるゴシップは最高潮の段階に達していた。そのゴシップを鎮静化させるために、自分が順子を愛したのは単なる色恋沙汰ではなく、それなりの事情があるのであり、また、順子は世間が言っているような馬鹿な女ではない。自分ならずとも、誰もが好きにならずにすまないような女だ。だから自分が彼女に惹かれるのは道理にかなったことなのだ、というようなことを釈明したかったのではないか。

もう一つは、創作上の動機だ。秋声は、「あらくれ」で一つのピークに達した後、ちょっとしたスランプに陥っていた。元来が私小説的な作風だから、自分の私生活に変化がないと、小説の題材を得られないのであろう。そんな折に山田順子という、非常な美人であるばかりか、人間的にも興味をそそられるような女が懐に飛び込んできた。彼女との触れ合いは、老いつつある秋声に勢力をもたらすとともに、創作意欲を高めたのではないか。とにかくこの女は、その挙動ぶりを文章にしただけでも小説になる。だから、たいした努力もなしに文章にすることができる。そのことに秋声は喜びを感じたのではないか。

そのことは、同じく順子を材料にした「仮装人物」と読み比べるとよく見えてくる。「仮装人物」のほうは、順子と別れてから10年後に執筆されており、順子という女の全体像を客観的に見ているところがある。順子に対する秋声の気持には愛憎半ばするところがあったことが読み取れる。それに対してこの「元の枝へ」における順子像は、どちらかというと一方的な性愛の対象であって、順子を理想化する一方で、順子に対する秋声の気持も、愛情にあふれているといった具合である。要するにこの小説は、思いがけず自分の身に起った老いらくの恋の喜びを歌ったようなものだと言えるのである。

そういう意味では、秋声にとってこの小説は、単なる小説ということを超えて、自分の身に起こったことを素直に喜んでいるのだと言ってよい。これは私小説作家としては、最高のシチュエーションだといえよう。恋の喜びがそのまま自分の創作意欲につながるなどということは、なかなか期待できることではない。なにしろこの小説の中の秋声(無論仮名ではあるが)は、初恋の喜びにとまどう青年のように描かれているのである。それは無理もなかろう。同棲を始めて半年くらいの間は、恋の一番盛んになる時節である。その時節に秋声はこの小説を書いたのであるから、恋の喜びが素直に表れるのは当たり前のことなのである。

五十を超えてなお青年のような気持で恋をすることができるのは、単に作家冥利ということを超えて、男として果報の限りといわねばなるまい。





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