存在と無

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この小論の目的は存在と無について語ることだが、サルトルの注釈ではない。一日本人として西洋哲学の伝統に一瞥を加えようというのだ。西洋哲学が存在の探求から始まったことはよく知られている。ギリシャの最初の哲学者たちは、この世界が存在しているのはどういう理由からかについて、思弁を巡らしたのであったし、プラトンは存在者が存在するとはどういう意味か、存在とは何かについて探求したのであった。キリスト教時代の思想家たちは、神と存在との関係について思弁を続け、近代以降の哲学者たちも存在の意味について探求し続けた。彼らのそうした探求を動機づけたのは、何故無ではなく、存在があるのか、という素朴な疑問だった。こういう疑問は、日本人が長らく知らなかったものだ。日本人にとっては、この世が存在しているのは疑問の余地がないことだったし、したがって存在というものについて疑問を差し挟むということもなかった。存在は自明な事実なのであって、かえって無の方が異様に受け取られたのである。

日本人が存在を自明なこととして受け取るのは、自分自身と世界との間に分裂がないからである。世界は対象性としては捉えられない。西洋哲学の伝統においては、世界は私の認識の対象であったり、私の労働が働きかける対象であったりする。要するに私と世界とは向かい合っていて、その境目に分裂がある。ところが日本人にとっては、世界は認識や労働の対象ではない。わたしは世界との間で分裂していると感じることはなく、かえって世界と一体化していると感じる。そうした感情のなかで、私は私自身の存在に疑いをもつことがないのと同じように、世界の存在について疑いを持つこともない。私と世界とは一体化しているわけだから、世界の存在を疑うことは、私自身の存在を疑うことになるからだ。そんな疑いを起こすのは精神衛生によくないし、また、精神を病まないでは生きていられないだろう。

ところが西洋の哲学では、そう簡単には考えない伝統がある。それは、世界と私とが分裂しているからである。その分裂があるために、私は私の存在を疑わないままに、世界の存在を疑うという芸当ができる。何故なら私と世界とは一体のものではなく、別個なものだから、私は、世界の存在を疑いながらも、私自身の存在については確信を持てるわけである。

日本人は世界の存在を直観する。この場合の直観とはカントのいうような意味での直観ではない。カントは直観を、感性にもたらされた一時的な所与として、高次の認識にとっての材料のようなものとして捉えたわけだが、日本人はそのようには受け取らない。直観はそれ自体で十分な認識をもたらすのである。カントの直観は、認識の材料として中途半端なものであり、それ自体としては何等有意義な認識をもたらさなかった。直観は高度の精神作用(カントはそれを悟性という)と結びついて初めて認識をもたらす。日本人にとってはそうではない。直観はそれ自体が高度な認識でありうるのである。それゆえにこそ西田幾多郎は、直感の豊かさに信頼し、直感が概念的なものにも及ぶと主張したわけである。西田幾多郎は西洋哲学の模倣から出発したが、その思考の根底には日本人独特のものの捉え方が働いていたのである。

西洋哲学の伝統においては、世界は私との間で分裂しており、それ自体で存在の明証性を主張するわけにはいかない。世界の存在は、私によってその明証性を基礎づけられなければならない。それは世界と私との間の分裂に橋を渡すことを意味する。この橋を通じてでなければ、私は世界の懐の中に入っていけないのである。私は世界の懐の中に入ることで、初めて世界の存在を明証的に断言できるのだ。その断言は私の知性から発するが、その知性は私の精神の属性である。というより私は精神として存在しているのであって、私の存在の本質は精神性にあると考えられているのである。

西洋哲学の伝統は、人間を精神性として捉えてきたことにある。最近になって、メルロ=ポンティなどが人間の身体性にも注目するようにはなったが、それはまだ哲学の本流にまではなっておらず、あいかわらず精神性としての人間の捉え方が圧倒的である。精神としての人間が、精神の働きを通じて対象を捉える、というのが西洋哲学の根本的な考え方である。それはメルロ=ポンティにあっても基本的にはかわらない。メルロ=ポンティは、身体の契機を重視することから、身体としての人間というようなことを好んで言うが、その人間が対象に働きかけるという構図は受け継いでいるわけだし、その限りで世界と人間との間の分裂を認めているのである。

では、どのようにして精神は、世界を対象として捉え、その対象に存在の明証性を付与するのであるか。

ここで、この小論のタイトルである存在と無に戻ろう。この一対の言葉はある対立を意味している。その対立にあって、一方の項は積極的な意味を付与され、他方の項はそれの否定という形をとっている。無は存在の否定、存在しない事態を現わしているわけである。存在しないこと、それが無である。これが西洋哲学の伝統的な捉え方であった。したがって存在と無とはあくまでも一対のもととして取り扱われ、どちらか一方を省いて、もう一方だけを問題にすることはナンセンスと受け止められた。無を含まない存在はないのであるし、存在と無縁な無はありえないのである。ところが日本人は、無をそれ自体として考えることがある。その場合の無の捉え方は、存在の否定ではなく、空虚と同じような意味合いを持たされている。その空虚とは、存在するものの入れ物になるわけだから、無と存在との関係においては、無の方が根源的であり、存在は無の中に浮かんだ島のようなイメージでとらえられる。

西洋哲学の伝統では、そのようには考えない。たしかに絶対空間というような考え方はあって、その絶対空間のなかにさまざまなものが存在するとする点では、空虚としての無の中に存在が包摂されるとする日本伝統の考え方に通じるものがないとは言えないが、それはあくまでも物理空間を説明するための便法のようなもので、哲学の本流にあっては、存在と無とは不可分に結びついた一対の概念なのであった。その一対の概念においては、主導権はあくまで存在にあり、無は存在の否定としてあらわれるわけである。

ところで存在は、西洋哲学にあっては、それ自身のうちに根拠を有しているのではなく、人間の精神作用によって根拠づけられるものであった。その精神作用がこれをこれとして認めたものがこれの存在なのであり、その否定、つまり存在とは認められないものが無なのである。ということは、無は精神の及ばないものだということになる。精神が目ざすのはあくまでも存在なのであって、無をめざすわけではない。そうではあるが、結果として存在に巡り合えなかったという意味で、存在の否定というような事態に陥ることはある。そうした事態を現わす言葉として、無という言葉が選ばれた、ということはありそうだ。






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