永遠と一日:テオ・アンゲロプロス

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テオ・アンゲロプロスの1998年の映画「永遠と一日」は、ある老人の一日を描いたものである。その老人は癌が悪化して明日入院することになっている。そのことを老人は、旅に出ると言う。だから映画を見ている者は、どこか遠くへ旅するのだろうかと勘違いするのだが、老人にとっては、もしかしたら再び病院から出られぬかもしれない予感があるので、帰らざる旅に譬えているわけだろう。

老人にはその旅にそなえて、色々とやることがある。まず、日頃飼っている犬を娘夫婦にあずかってもらわねばならぬし、その犬の面倒を見てくれていた家政婦には隙を出さねばならない、また老人施設に入所している母親には、もしかしたら最後になるかもしれない挨拶をしておきたい。そこで老人は、それらの用事を一つ一つ片付けていくうちに、一人の少年と出会い、はからずもその少年と一日を過ごすことになるのである。

その前に映画は、一人の少年が冒険を求めて海に入っていくシーンを、冒頭に写し出す。実はその少年こそは、この映画の主人公アレクサンドレの昔の姿なのだ。この冒頭のシーンにかぎらず、この映画は、老人の現在の姿にまじって、過去の追憶をさしはさむようになっている。映画自体は老人の現在の一日を描いているわけだが、その間に差し挟まれる追憶の時間は、永遠に通じている。そんなふうに思わせるように、映画は作られているように見える。

老人となったアレクサンドレは、一人暮らしをしている。妻のアンはとっくに死んでいる。その妻を老人は愛し続けているようで、幾度も妻の追憶にふける。その妻との間に生まれた娘は、今は結婚して夫と共に暮らしている。その娘夫婦に老人は犬を預けようとするのだが、娘の夫から拒絶反応を見せられてあきらめる。娘夫婦は、老人が若い頃に暮らしていた海辺の家を、老人に無断で売り払っていた。そのことに老人は傷つく。

街を運転しているうちに、老人は一人の子供と出会い、その子を自分の車に乗せる。その子は浮浪児で、路上で車のガラス磨きをしながら小遣い銭を稼いでいたのだが、他の仲間の少年達ともども人買いに誘拐されてしまう。そして人身売買のセリにかけられているところを、老人は有り金をはたいて買い戻し、自分の車に乗せるのである。その少年は、アルバニアからやってきた難民だという。そこで老人は、その子をアルバニア国境まで連れていってやるが、国境では越境者たちの死体があちこちにぶら下がっていた。それを見た老人は、その子を再び自分の車に乗せる。この日一日、その子と一緒に過ごすつもりなのである。

老人はヒマをやった家政婦のウラニアを訪ね、犬を預かってもらおうとする。折からウラニアの息子の婚礼の最中だった。ギリシャ風の婚礼の様子が、ゆったりとしたリズムで映し出される。新郎新婦は、道路を練り歩きながら踊り狂い、祝福してくれる人々に向って互いの愛が深いことを証明しているかのようだ。

犬を預けた後、老人は老いたる母親を訪ね、別れを告げる。すると老人は、母親と過ごした昔の時間を思い出し、甘い追憶に耽るのだ。追憶は、妻へも向けられる。追憶の中の妻は、あなたは一緒にいても、いつもいない人、今日一日だけはわたしのものよ、と訴えている。

老人は作家のようだ。老人の追憶は、ギリシャ独立に活躍した作家にも及ぶ。もっともその作家と老人が一緒に過ごしたことはない。老人は追憶の中だけで、その作家に出会えるのだ。

一方アルバニアの少年にも色々なことが起きる。仲間が死んだり、フェリーでイタリアへ密航しようという計画が煮詰まったりだ。そこで少年は、老人に別れを告げる。ところが老人は、フェリーが出るまでの時間を自分と一緒に過ごしてくれと頼み、一緒にバスに乗って港巡りをしたりする。そのバスの中に図らずも追憶の中に出て来たギリシャの詩人が乗りこんできたりする。彼らがバスで巡ったその港はテッサロニキの港のようだ。アンゲロプロスの映画にたびたび出て来る港である。

フェリーに密航してイタリアに向かう少年を見送って、一人になった老人は、車を道路の真ん中に停めたまま一夜を明かす。映画の中のギリシャの道路は、四車線ある道路が、すべて一方通行なのだ。その一方通行の道路の真ん中に停車していても、文句を言う者はいない。老人は夜が白むのを待つかのように、車を急発進させるのだ。

ラストシーンは、やはり老人の回想の世界を描く。そこで老人は死んだ妻と会い、もう旅には出ないことにしたと告げる。そのかわりに二人で明日の計画を立てようと言う。そして明日の時間はどれくらいの長さだろうかと聞く。それに対して妻は「永遠と一日」と答える。それがこの映画のタイトルの意味だといわんばかりに。

こんな具合でこの映画は、ギリシャ現代史に拘ってきたアンゲロプロスにしてはめずらしく、一人の人間の内面に迫るといったふうの作品である。この映画の中でも、雨はたえず降っている。





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