豊国祭礼図屏風一

| コメント(0)
huzoku04.0.jpg

慶長九年(1604)の八月に、豊臣秀吉の七回忌の臨時祭礼が豊国神社で催された。その祭礼の様子を描いた図屏風が、すくなくとも三点伝わっている。上はその一点。豊臣秀頼が片桐且元に命じて、豊臣家恩顧の絵師狩野内膳に描かせたものである。狩野内膳は狩野松栄の弟子で、豊臣家の隆盛期に大いに活躍した。この祭礼図は彼の代表作である。

六曲一双の図屏風のうち右隻(上の絵)は、八月十四日に行われた二百人からなる騎馬行列を描いたものである。行列は画面左下から右方向へ進み、門をくぐって境内を奥の方へ向かって、神社本殿をめざしている。また田楽や猿楽奉納の様子も描きこまれている。神社周囲の上空には、金箔で雲模様が施され、幽玄な雰囲気が演出されている。

huzoku04.1.jpg

これは左隻。八月十五日に催された豊国踊りの大群舞を描いている。群舞は、方広寺大仏殿を背景にして、いくつかの円陣に別れているが、このように円陣をとって輪を描きながら踊り回るのは、今日の盆踊りまで続いているわけで、日本人の踊りの原点を想起させてくれる。

huzoku04.3.jpeg

これは、左隻の第二扇下部を拡大したもの。大仏殿大門前で円陣を組み、牡丹に胡蝶の花笠、亀甲模様の衣装といったいでたちで、風流踊りに興じる群衆が、熱気を感じさせる。この場面の右方には、上京中組、西陣小川組といった標識が見える。町内ごとに群れになっていたのであろう。

(紙本金地着色 六曲一双 豊国神社 重文)







コメントする

アーカイブ