死について1

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人間にとって何が切実かといえば、死より切実なことはないであろう。ところがこのことについて、西洋哲学の伝統においては、まともに論じられたことがなかった。宗教においても、あまりかわらない。一見して宗教は、死の問題と真正面から取り込んだというふうに思われがちだが、宗教が死を取り上げるのは、死そのものというより、死をめぐる周縁的な領域のことに過ぎなかったのではないか。たとえば、魂は死後の世界でどう生きるかとか、キリストの死後の復活とかいったものである。死をそのものとして、いわば死の内部から、これに取り組んで来たとは言えない。

東洋においても、事情はあまり異ならないのではないか。東洋思想といえば、我々日本人にとっては、仏教と儒教に代表され、その周縁に道教とか神道があるわけだが、まず仏教についてみると、仏教には西洋思想にくらべて、死に直接向かい合うようないところはある。仏教の究極的な目的は、輪廻から解放されて、永遠の涅槃にやすらうことであるが、この涅槃というのは、死がもたらす境地と考えられている。人間を含めたあらゆる生き物は、無限に輪廻転生を繰り返すものだが、それは無限に死んでは生き返ることを意味している。つまり生き物というのは、死と再生を無限に繰り返すのであって、そういう意味では、生き物は死に繋縛されているのだといえる。この繋縛から解放されて、永遠に涅槃の境地にやすらうということは、死から解放されることでもあるが、その開放は死によってもたらされる。だから、人間を含めた生き物にとっては、死はもっとも切実なこととして受け取られる可能性を持つ。

一方、儒教においては、死が直接問題とされることはない。その点では西洋思想より徹底している。儒教は徹底して現世的な思想なのであって、死後の世界を語ることはもとより、死そのものについても語らない。儒教において死が問題となるのは、自分の親が死んだときの儀礼としてであるが、儀礼とはきわめて現世的なものであり、その点では死とはもっともかけ離れたものである。つまり儒教は、死を生のひとつの様相として捉えるのであって、死を死そのものとしては問題とはしないのである。

日本人の死に向き合うそもそもの態度も、儒教と似たところがある。儒教においては、死は儀礼にかかわる問題だったが、古代の日本人にとっては、先祖への崇敬と深く結びついていた。死は古代の日本人にとっては、先祖を神としてまつる儀礼の出発点をなすものであり、したがってきわめて現世的な意義を帯びたものであった。死は、古代の日本人にとっては、自分自身の切実な問題としてよりは、自分と先祖とのつながりを確認するための、通過点として考えられていたのであり、その点では、現世的な意義を帯びていたわけである。

西洋思想における死の問題に立ち戻ろう。西洋思想において、死をはじめて正面から捉えたのは、ヘレニズム時代のギリシャの思想家エピクロスであった。エピクロスが死について言ったことは次のようなことであった。人間は、死を自分のこととして体験できない。何故なら生きている間は死んではいないわけだし、死んだ時にはすでに生きてはいないわけだから、死を意識的に体験することは出来ないのだと。こういうことでエピクロスが目ざしていたのは、人間を死の恐怖から解放し、快楽の追求に専念させることであったわけだが、このエピクロスの主張には、死を正面から取り上げているように見えて、じつはそれを回避しているのだと思われるところがある。

というわけは、エピクロスはこう言うことで、死に対する人々の恐怖を軽減するとともに、死についての人々の感性をもマヒさせる効果があるからだ。エピクロスの言っていることは、自分自身で意識的に体験できない死について、あれこれとこだわっても意味がないから、死について余計な考えをすることは無駄だ、ということである。しかしそれでよいのか。死はそんなに簡単に無視できる問題なのか。

歴史のなかで実際に起きたことは、人々がエピクロスの忠告に従い続けたということだった。しかし、なかにはエピクロスの忠告をそのままでは受け入れられないものもいた。たとえばマクベスである。マクベスは、自分自身の死に直面したときに、深い絶望に陥った。その理由は、自分が死んでも世界はそのまま変わらずに残り続けると思ったからであった。世界はそのままに、あたかも何事もなかったように存在し続けるのに、自分だけはもはやそこに存在しない。ということは、死は自分自身だけに襲い掛かってくる理不尽な打撃ということになる。なぜ自分だけがその打撃にさらされ、ほかのものはさらされず、いままでと同じように存在し続けるのか。こういった疑問がマクベスをとらえ、マクベスを絶望させるのである。

こうしたマクベスの疑問は、おそらく西洋の歴史のうえで初めて発せられたのではなかったかと思う。それまでの西洋の歴史では、人々が死を自分自身のこととして受けとめたことはなかった。死は公共の事柄なのであって、私だけのプライベートな事柄ではないのだ。死が語られることがあったとしたら、それは宗教の文脈のなかにおいてであったが、宗教というものは基本的には、プライベートな営みではなく、公共的な色彩を強く帯びた事柄だった。たしかにプロテスタントは、個人を直接神に向き合わせ、そのことによって、信仰を個人の内心の問題としても取り上げたのであったが、その場合でも死は、私の信仰がそこで終わるものでない限り、公共の色彩を失わなかった。私は死んだ後でも神との結びつきを失うわけではなく、その限りでこの世ともつながっているのである。私は死によって孤独になるわけではないのだ。

西洋思想が死を直接取り上げるようになったのは、第一次世界大戦以降のことである。ハイデガーがその傾向を代表している。その背景には、やはり歴史上未曽有の規模で殺人が行われたということがあったろう。戦争という合法的な殺人が、世界規模で実施され、その結果夥しい数の人が死に直面した。というよりか、不本意な死に見舞われた、つまり無理やりに殺されたのである。殺人は決してめずらしいことではないが、これほどの規模での大量殺人は、人類史上始めてのことだし、しかもその殺人が合法的とされることによって、人間の生命についての、人々の伝統的な捉え方がおおいに揺るがされた。合法的に、しかも何等の理由もなく、自分の意に反して殺されるとは、その殺される人間にとっては無論のこと、およそ人間という生き物にとって、種として生き延びていくための土台を揺るがされるような事柄であった。すくなくとも人間的な感性を失わなかった人々にとっては、人の生命とその死について、あらためて深い思索を迫るものであった。

そこでまず、ハイデガーの死についての思索を見てみよう。





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