ビリー・ザ・キッド/21才の生涯:サム・パキンパー

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ビリー・ザ・キッドは、ワイアット・アープやバッファロー・ビルと並んで、アメリカ西部開拓時代の英雄である。英雄とはいっても、強盗や殺人を繰り返した男なので、アンチ・ヒーローと言うべきだろう。かれが、アンチ・ヒーローとはいえ、なぜ英雄視されるようになったのか、その理由は、日本の鼠小僧と共通したところがあるらしい。鼠小僧は、強きをくじき弱きを助けるところに、人気の秘密があったが、ビリー・ザ・キッドにもそういうところがあったのだろう。サム・ペキンパーの1973年の映画「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯(Pat Garrett and Billy the Kid)」は、そんなビリー・ザ・キッドをテーマにしたものだ。ビリー・ザ・キッドを描いた映画は、数えきれないほどあるといわれるが、この映画はそのなかでも最高傑作と言われるものだ。

原題が示す通り、パット・ギャレットとビリー・ザ・キッドの確執が描かれている。パット・ギャレットは、ビリー・ザ・キッドを殺した男として歴史に名を残した人間だが、その殺し方には卑怯なところがなく、ビリー・ザ・キッドも男らしく殺された、というふうにこの映画は描いている。一説によれば、ビリー・ザ・キッドは丸腰で無防備なところを、ギャレットに打たれたとも言われるが、ギャレットはそれを強く否定し、自分で書いた回想録の中では、正々堂々とキッドに挑んだと書いている。この映画はそうしたギャレットの主張に沿うものだ。

キッドは21歳の若さで殺された。この若さで、西部開拓史に名を残すほど有名になったのは、その大胆不敵でかつ義賊的な振舞いのためであった。そうしたかれの義賊性は、映画の中でも十分に触れられている。あくどい地主に抑圧されるインディオを助けてやるところなどである。したがってかれは、身を隠した村のなかで、周囲の人びとから愛されているように描かれている。

それに対してパット・ギャレットは、ビジネスライクな冷血漢として描かれている。この映画は、おもにジェームズ・コバーン演じるパット・ギャレットのほうに焦点を当てて、かれがどのようにキッドを追いつめ、ついに殺したか、そのプロセスを丁寧に描いているのである。

キッドは、女とセックスをしている最中にギャレットに近づかれるのだが、ギャレットはセックスに耽っているキッドの寝こみを襲うような卑怯な真似はしない。キッドのセックスが終わるまで待ってやり、武装して外に出てきたところを、射殺するのである。その射殺死体から、証拠だといって、連れの男が身体の一部を切り取ろうとすると、ギャレットはその男を激しく打ち据える。キッドの人間としての尊厳を重んじているのだ。しかし、ギャレットはキッドを殺したことで、村の連中から一様に憎まれる。小さな子供まで、去り行くギャレットの背中に向って石を投げつける始末なのだ。それによって、われわれは、キッドがいかに愛されていたかを、あらためて知るのである。

この映画には、ボブ・ディランが音楽監督として全面的に協力し、また脇役として出演してもいる。小柄なディランは、映画のなかでは、キッドを追う立場から慕う立場へと変わっていく。そのディランがこの映画の中で流した音楽は、後にLPアルバムとして編集された。その曲の中には、ディランの傑作「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」も含まれている。





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