日韓関係の再構築はなるか

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雑誌「世界」の最新号(2019年10月号)が、「日韓関係の再構築へ」と題した特集を組んでいる。いまや、日本のメディアでは反韓・嫌韓が流行現象となって、韓国を罵ることが当たり前となっている中、日韓関係の再構築を云々する言説は、とかく攻撃にさらされやすい。なにしろ政官民が一体となって隣国韓国を侮辱してやまないのだ。そんな中で、こういう特集を組んだ「世界」編集部の勇気を評価したい。

いくつか寄せられた文章の中で、「日韓・日朝関係をどう解きほぐすか」(吉沢文寿)と題した小論は、これまでの日韓関係を基礎づけた1965年の日韓基本条約及び請求権協定をとりあげ、その受け止め方が、日韓両国で異なっていることが、両国の関係がいつまでも安定しない基本的な原因だと分析している。要するに、条約の解釈が一致していないことが、両国を常に緊張関係に追いやるというわけである。そのへんの事情については、小生も過日触れたことがあるが(当ブログ記事「日韓関係は何故もつれるか」)、吉沢もだいたい小生と同じ認識を持っているようである。

日韓基本条約の日本側の受け止め方は次のようなものである。日本による朝鮮支配は合法的なものであったのだから、そのことについて謝罪する必要はない。ただし韓国が独立するについては、日本は旧宗主国としてのメンツもあり、「独立祝賀金」のようなものを贈ってやろう。そういうわけだから、この条約は「過去の償いということではなしに、韓国の将来の経済および社会福祉に寄与する」という意義をもつものである。

これに対して韓国は、日本による植民地支配を違法・無効と主張し、それによって生じた損害の賠償を求めたが、日本はそれに応じなかった。そこで両者が妥協する形で、そうした法的関係が「もはや無効であることが確認された」という玉虫色の表現で解決した。この表現を日本側は、将来に向かって無効だと解釈し、韓国側は、過去に遡って無効だと解釈したわけである。要するに、日本の朝鮮支配について、基本的な認識の共有ができていないわけだ。

こういう状態では、今後日韓両国が、安定した二国間関係を築いていくことは難しい。したがって両国は、どこかで日韓の過去の歴史に関する認識のすり合わせをしなければならないだろう。でなければ、日韓関係は今後ともずっと不安定にならざるを得ないという認識を、吉沢は示している。小生も同じ思いだ。日本側は、もう終わったことを蒸し返すのは沢山だという論調が支配的だが、それはそれで主張としてはありうるだろうが、それでは永久に日韓関係は安定しないだろう。

ところで、吉沢は日朝関係についても触れている。日朝関係については、小泉政権時代の2002年に、日朝平壌宣言が出されたが、そこに盛られたのは、日韓条約をたたき台にした方向性、つまり「国交正常化後経済協力実施および日朝間のすべての財産および請求権の相互放棄」の確認だった。つまり日韓基本条約とほぼ同じものを、日朝間でも締結しようというわけであるが、これはいまから二十近く前のことであり、今日でも北朝鮮がこれを受け入れるかどうか、その見込みはかなりあやういと言ってよいのではないか。つまり韓国で日本の植民地支配への批判が強まるという動きが、北朝鮮をも刺激して、今後日本に向かって厳しい姿勢に転じる可能性は否定できない。

いずれにしても、いまの安倍政権を見ていると、日韓関係はどうなっても構わないといった雰囲気が伝わって来る。しかしそれで良いのか。よく考えねばなるまい。





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