パイドロス読解その二

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対話篇「パイドロス」は、ソクラテスが路上を歩いているパイドロスに声をかけるところから始まる。これから始まる対話の状況設定をしようというわけだ。対話は虚空でなされるわけではないので、いつ、どのような場所で、どのような雰囲気でなされたか、それをわかってもらったうえで、対話の内容を聞いて欲しい、そういう気持ちをプラトンはもっていて、対話を紹介する前に、それの状況設定をいささか細かく説明するのである。

パイドロスが歩いていたのは、大通りで、城壁の外をめざしていたところだった。大通りを歩いていたのは、理由があるので、かれは高名な医者であるアクメノスの言にしたがって、養生のためには大通りを闊歩するのが望ましいと信じているのである。養生術についてのギリシャ人の関心は、フーコーが指摘した通り、非常に深いものであって、かれらは常に漫然と生きているよりは、意識的に自分の心身に心をとめていたのである。

ともあれ、ソクラテスがパイドンに呼びかけた言葉というのは、どこへ、そしてどこから来たか、ということであった。どこへという質問に対してパイドロスは、これから城壁の外へ散歩にいくのだと答え、どこからという質問については、リュシアスのところからと答えた。このリュシアスは、アテネの人ではなく、ピレエフスに住んでいるとされるが、たまたま市内のモリュコス邸に来ていたのだった。そのモリュコス邸というのは、オリュンポスの社のそばにあるとパイドロスは説明する。

ソクラテスがパイドロスに逢った場所は、アテナイ市街の東南で、城壁に近い所だったと考えられる。小生は古代アテネの地理についてはほとんど何も知るところがないが、ネットで入手した地図によれば、城壁は円周を描いてアテネ市街を囲み、その東南の部分にパイドロスがいうオリュンポスの社がある。オリュンポスの社とはゼウスの宮殿と呼ばれるものである。その近くの路上で二人は遭い、城壁の外へ出て、イリソス川の流れに沿って歩くことになる。そのイリソス川は、いまでは暗渠となってしまったが、この当時は人々に憩いを与える小川だったようだ。

二人がイリソス川のほうへ歩いて行くことになったのは、パイドロスがリュシアスから聞いたという話にソクラテスが大いに関心を示したからだった。ソクラテスは、生涯のうち、戦役に従事してアテネを離れた以外に、アテネの城壁の外へ出たことはほとんどないといわれる。そのソクラテスが、城壁の外へ出てまでパイドロスに同行し、彼の話を聞きたがったのは、ソクラテス自身が言うとおり、それが「生業よりも一大事」と思ったからでもあったが、その気持ちは、パイドロスが聞いた話というのが恋に関することだとわかっていよいよ強められた。というのもソクラテスは、日頃恋に夢中になっているのだし、パイドロスのほうでも、そんなソクラテスのことを念頭において、かれを挑発したからである。

とはいえパイドロスは、リュシアスから聞いたという話を、もったいぶってなかなか話そうとはしない。話すにしても、聞いたままではなく、自分の解釈を施しながらその概要を話そうとする。それに対してソクラテスは、概要ではなく、聞いたままのその全体をくまなく話せと迫る。その際にソクラテスは、相手を直接的に説得する口調ではなく、あたかも第三者に言及するかのような調子で話すのだ。それはこんな具合だ。

彼パイドロスがリュシアスの話を聞いたのはたった一回だけではない。何度も何度も繰り返し聞いたに違いない。だから話の内容を暗記できるまでになっているはずだ。その暗記した話をソクラテスが聞きたがるのは無理もない。だからパイドロスはソクラテスにリュシアスから聞いた話をそのまま話して聞かせてやるべきなのだと。

それに対してパイドロスは、自分としては話の一語一語を暗記したわけではないといって、しぶる。しかし話の概要なら十分に話すことでできるという。するとソクラテスは、パイドロスが上着の下に隠し持っている本に注目し、それがリュシアスの話を記録したものだとわかると、それをそのまま読めと迫る。こうした駆け引きを通じて、パイドロスはやっとリュシアスから聞いた話の全容を話す次第になるというわけだ。対話の状況設定のなかに、このようにもったいぶったやりとりを介在させるのは、おそらくプラトンの趣味を反映しているのだろうと思う。

こうしてパイドロスがリュシアスの話を聞かせる段取りになったところで、それにふさわしい場所を求めるに、ソクラテスの提案で、イリソス川に沿って歩き、途中で気持ちの良い場所を見つけて、そこで話をしようじゃないかということになる。すると、前方にひときわ背の高いプラタナスの木が見えて来る。二人はそこで腰を下ろし話をしようと合意する。そこは日かげもあり、風もほどよく吹いていて、草の上に寝転ぶこともできる。寝転びながら対話を楽しむのは、「饗宴」のなかでも触れられている光景であり、ギリシャ人の好みだったようだ。

ボレアスがオレイテュイアをさらっていったのはこのあたりではないですかとパイドロスが聞くと、それはここではなく、別の場所だとソクラテスは答える。それに対してパイドロスは、ソクラテスあなたでもそういう言い伝えを信じますかと問う。それに対するソクラテスの答えが面白い。「もしぼくが賢い人たちがしているように、そんな伝説は信じないと言えば、当節の風潮に合うことになるだろうね」と言うのだ。こういうことでソクラテスは、何でも合理性を重んじるあまり、神話や伝説の信憑性にも疑義をとなえる風潮、それはソフィストやリュシアスなどの弁論家が体現していたわけだが、そういう風潮を批判しているわけだ。

ソクラテスは言う、「こういった説明の仕方は、たしかに面白いにはちがいないだろうけれど、ただよほど才知にたけて労をいとわぬ人でなければやれないし、それにそんなことをする人は、あまり仕合せでもないと思うよ」と。こう言うことでソクラテスは、神話や伝説にたいして、それをありのままに受け入れることが、普通のギリシャ人にとっては、望ましいのだとほのめかすのだ。ソクラテスとしては、デルポイの信託が命じている、「汝みずからを知れ」ということに未だに応えることができず、自分自身を知るという肝心なことに無知でありながら、自分に関係のないことで、あれこれ余計な考えをめぐらすことは笑止千万だというのだ。だからソクラテス自身としては、そういう事柄ではなく、自分自身に眼を向けて、自分は果たしてテュポンよりも複雑怪奇でさらに倨傲狂暴な一匹のけだものなのか、それとももっと穏和で単純な生き物なのか、それを知ることが重要なのだと思うのだ。

そうしているうちに二人はプラタナスの木が立っているところに到着する。そのプラタナスの木を見上げてソクラテスは感嘆の声をあげる。「おおこれは、ヘラの女神の名にかけて、このいこいの場所のなんと美しいことよ!」と。そこでは気持ちの良い風が蝉たちの歌声にこだまし、横になってみると、草が気持ちよく頭を支えてくれる。対話を楽しむにはまたとない場所だ。

こうしてふさわしい場所を得た二人は、パイドロスがリュシアスから聞いたという話をきっかけにして、一連の対話へと入っていくのである。







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