戦争の記憶:日本とドイツ

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アジア・太平洋戦争を含めて、第二次世界大戦は、各国に甚大な災厄をもたらした。そうした災厄は、敗戦国だけではなく、戦勝国も、多かれ少なかれ被ったものだ。自国が戦場にならなかったアメリカでさえ、40万人以上の死者を出している。ドイツの場合には、一説には900万人といい、日本の場合には310万人もの死者を出した。死者だけではない、国土は焦土と化した。そんな厳しい事態は、容易に忘却できることではない。そこで各国とも、それぞれスタイルに多少の違いはあっても、戦争を忘れずに、記憶しつづけたいという国民の願いはあって、その願いを、何らかの形で表現してきた。その表現の仕方は、国によってまちまちである。

ドイツの場合には、ナチス時代にホロコーストという忌わしいことがあったため、そのナチスが起こした戦争については、倒錯した感情がまつわりつくことになった。戦争について記憶しようとすれば、必ずホロコーストの記憶が付随してきた。ホロコーストを除外して戦争を語ることは、偽善的で、時には犯罪的なことと見なされた。だから多くのドイツ人は、戦争そのものを語ることを避けるようになった。戦争を語ることは、おのずからホロコーストを語ることにつながり、ホロコーストを語ることは、自分がドイツ人であることを、マイナスの意味で意識することになるからだ。マイナスという意味は、自分がドイツ人であることを恥と感じるというような意味である。

自分がドイツ人であることを恥と感じるような事情は、戦後いち早く、トーマス・マンのような知識人によって表明されていた。トーマス・マンは、ドイツ的であることを、田舎者根性のあらわれであると規定したうえで、その田舎者の思い上がりがドイツを破滅させたと言った。ドイツはヨーロッパをドイツ化しようとしたが、むしろ本当に必要だったのは、ドイツがヨーロッパ化することだった。ところがドイツはその正反対のことをしたために、みずから破滅するはめになった、というわけである。

日本の知識人には、トーマス・マンのように率直に自分自身を反省するような人はあらわれなかった。戦後自由を回復したマルクス主義者たちが、天皇制を批判したりはしたが、日本をトータルに否定するような意見はなかった。これが、日本人の愛国的な精神のあらわれなのか、それとも精神の鈍重さを物語るのか、俄には判断できない。

ドイツではしかし、トーマス・マンのような人は少数派だった。多数派は、戦争について反省することにためらいを感じた。いわゆるフランクフルト学派を中心にして、ドイツの戦争責任を論じる人は存在したが、それはアカデミズムの内部にとどまった。大多数のドイツ人は、戦争について反省することに、ためらいというか、嫌悪感を覚えたといってよい。戦争について反省することは、自分がドイツ人であることの惨めさを思い知らされることだったからだ。

大多数のドイツ人が、戦争についての記憶に面と向かうようになったのは、1960年代の後半からである。その時代になると、戦争を知らない世代が、親たちの世代があたかも戦争などなかったように振る舞っているのに抗議して、戦争についての記憶と積極的に向き合うべきだと主張した。そうした主張に促されて、ドイツの各地に戦争の記念碑(ゲデンクシュテッテ)や警告の碑が作られた。ドイツの教会には、ユダヤ人を侮蔑する内容のアイテムが古い時代から伝わって来たが、そうしたアイテムに付随するようにして、ホロコーストに人々の注意を促すような銘板が設置されたりした。

日本の場合には、戦争についての反省は、ドイツ同様、あまり語られることはなく、また、語られる場合には戦争による被害体験が中心だった。加害体験が語られることはほとんどなかった。その点は、加害体験を強く意識し、そのために戦争体験を語ることに心理的抵抗を覚えるドイツ人とは、かなり異なったメンタリティが日本人には見られる。そんな日本で、戦争についての記憶を強く呼び覚ますものをあげるとすれば、それは九段の靖国神社と広島の平和記念館と鹿児島の特攻平和会館だろう。

靖国神社は、戊辰戦争以来天皇のために死んだ人々を慰霊する施設であって、アジア・太平洋戦争での死者だけを弔うわけではなく、したがってその戦争を記憶することを直接的な目的としているわけではない。だが、この戦争についてのユニークな歴史観を表明し、またこの戦争のために死んだ多くの軍人たちの英霊を祀っていることから、おのずから先の戦争についての記念館的な役割を果たしている。靖国神社には遊就館という展示施設が付随しているが、これがまさに戦争博物館的な外見を呈している。戦艦大和の主砲砲弾、人間魚雷の胴体、沖縄戦で玉砕した砲兵大隊所属の銃砲など、戦争を思い浮かべさせるものが数多く展示されている。これらは戦争を反省するための材料というよりは、日本人の戦意を高揚させることを狙ったもののようである。それを裏付けるかのように、館内に設置された説明版はいずれも戦争を賛美する言説で満ちている。それによれば、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争を日本の保守派はそう呼ぶ)は欧米列強の魔手からアジアを開放するための正義の戦争だったのであり、この戦争で死んだ兵士たちは、お国のために尊い命を、みずから進んで捧げたということになっている。要するに、靖国神社は、未来も含めて、日本人を好戦的な気分にさせることを目的としているように見えるのである。

広島の平和記念館は、広島の原爆災害を伝えることを目的としている。ここは、靖国神社のようには、政治的な姿勢を極力感じさせないように、工夫がなされている。原爆による災害の状況がなるべくリアルに伝わって来るように配慮されているが、その災害をもたらした原因については、深く追求することがない。そのため、ここを訪れた人に、原爆とはあたかも天災だったというふうに、思わせるむきもあると思う。なにか主張らしいものがあるとすれば、それは無垢の市民が無念に死ななければならなかったという、ある種の被害意識の表明である。この施設だけをもとに戦争の意味を考えれば、日本人の戦争被害者としての面だけを強調することになるだろう。

鹿児島の知覧にある特攻平和会館は、若い特攻隊の遺品を中心に展示する施設であり、それを見る者をして、特攻兵士への深い同情を掻き立てるようになっている。しかし何が彼らをそうした死(まさに犬死ともいうべき死)に追いやったのかということについては、なるべく触れないようにしている。特攻は、広島の原爆が運命だったように、避けられない運命だったというような諦念めいたものが、そこからは伝わってくるようになっている。

以上三つの施設は、戦争を賛美したり、また戦争で被害を被った人々に同情するような意図を感じさせるのであるが、日本による加害責任ということには、殆どあるいは全く触れていない。だがそうした施設が日本に全く存在しないということではない。京都の国際平和ミュージアムはその数少ない例の一つだ。これは立命館大学の付属施設ということもあって、比較的自由な立場から戦争を振り返っている。日本の加害責任についても触れられている。たとえば、南京大虐殺、従軍慰安婦、731部隊といったものだ。もっともそれぞれ簡単な文章が施されているだけで、詳細な説明はない。あまり詳細な説明は、右翼の反発を招き、攻撃されることを恐れているのかもしれない。





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